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第15話 間接キス
私とジェイドの姿は、人間界のマイン領にあった。
ここは、ルーリン・マインが住む城がある、ベレックの街だ。さすが領主が住んでいる街ともあって、非常に大きいし、行き交う人々の数も多い。
領主が住む城に続く広い通りは、一番人通りが多い場所であるため、彼らを客とした店がたくさん建ち並んでいる。
もちろん、食べ物の屋台もたくさんでていて――
「わぁっ、あれ美味しそうじゃない、ジェイド!」
「分かりましたから、コーラル。少しは落ち着いてください」
ジェイド(演技)が、駆け出しそうになった私の手首を掴んで制止した。そして、
「散々仕事だって自分で言っておきながら、浮かれているのはあなたの方じゃないですか……」
と、少しだけ呆れを声色に滲ませてため息をついた。
喋り方や態度はジェイド(演技)だけど、天界にいるよりも少しだけ演技が甘い気がする。他の神々の目がないから、少し気が緩んでいるのかもしれない。
ちなみに、私たちの姿は少し変えている。
特にジェイドをそのまま実体化してしまうと、人間たちの注目を一身に浴びてしまう恐れがあるため、魔法を使って目立たない地味なジェイドになって貰っている。
ずっと、イメチェンしたジェイドだったから、地味な姿に懐かしさと、実家にいるような安心感がある。だけど良く見れば、ちゃんとイメチェンジェイドが健在しているのが分かる。
うーん……隠しきれないのか……
「どうかしましたか、コーラル。さっきから私の顔をずっと見て」
銀縁眼鏡の向こうにある瞳が、私を捉えた。
目が合うと、天界では全く感情を表すことのないジェイドが、瞳を細めた。
何だか心の奥を覗かれた気がし、慌てて彼から視線を逸らすと、私は語気を荒げた。
「べ、別に、見てないし‼」
「そうですか。それは残念です」
「⁉」
ジェイドの切り返しに私はギョッと目を見開き、思わず彼の方を見た。バチッとお互いの視線が交わり合うと、ジェイドの口角がニッと上がった。
「ほら、見てる」
「うっ……」
く、くやしい‼
顔に纏わり付く熱を感じながら、プイッとジェイドから視線を逸らした。もうこれ以上彼に揶揄われ、みっともない姿を見せたくない。
とりあえず、まずは腹ごしらえをするため、黒いパンの間にソースを塗り、細かい野菜とチーズを挟んだものを買った。
それをもって近くの広場に行き、ベンチに座る。周囲を見ると、私たちと同じように、屋台で食べ物を買った人たちが、談笑しながら買った物を頬張っているのが見えた。
ここは、人々の憩いの場らしい。
「コーラル、どうぞ」
「ありがと」
ジェイドが買ってきてくれたワインのジョッキを受け取ると、彼も私の隣に座った。パンとワインを口にしながら、目の前を行き交う人々に視線を向ける。
「平和ね」
「そうですね」
私の呟きに、ジェイドが答える。だけどすぐに私たちの間に沈黙が降りた。
黙ってパンを食べ、ワインを飲む。
何も話していないのに、何か話さなきゃという焦りが不思議とない。
沈黙が――何だか心地良い。
ふと、前家庭円満の女神だった母の言葉を思い出した。
”コーラル。もし結婚するなら、会話途中で沈黙があっても、その沈黙も含めて会話として楽しめる相手としなさい”
沈黙を会話として楽しめる、という意味はよく分からないけれど、今の状態が近い気がする。ディラックと一緒にいたときは、沈黙があると何故か焦って、話題を頭からひねり出していたというのに。
――って、ちょっとまって私!
今の考え、ま、まるでジェイドが結婚相手として良いって思ってるみたいじゃない‼
そう思った瞬間、息が出来なくなった。
パンが固くて喉に詰まったみたい。ジョッキをあおる……けど、中身は既に飲み干していて空だった。
「~~っ‼」
ドンドンの胸を叩く私の前に、ワインの入ったジョッキが差し出された。
ジェイドだ。
私は息つく間もなく受け取ると、喉に詰まったパンをワインで流し込んだ。ワインが喉の奥で詰まった感じがしたけれど、ぐぐっと飲み込む力を込めると、ワインとともに詰まったパンも胃の中に流れていった。
よかった……
女神たる私が、パンを喉に詰まらせて死にました、なんて恥ずかしすぎるもの。
呼吸が出来る喜びを噛みしめながら、私はジェイドに御礼を言った。
「はぁ……ありがとう、ジェイド。助かったわ。それ余分に買っていた分? 後でお金返すわ」
「お金は返さなくて結構ですよ。余分に買ったのではなく、私の分ですから」
「そっか。ごめん、結構飲んじゃった」
「大丈夫ですよ。私ももう食べ終わりましたから。でもまだ中身が残っているなら、ジョッキ返して貰えます?」
「はい、どー……」
……ん?
私はジョッキを彼の前に差し出したまま、固まってしまった。
もしかして私……ジェイドの飲みかけ貰った?
それに口つけて、グビグビ飲んじゃった⁉
それって……それって‼
かっ、かかかっ、かっ……間接き――
ジェイドの手が、視界を横切った。私が差し出したジョッキをジェイドが受け取り、そのまま口をつけて飲み干す光景が、まるでスローモーションのようにゆっくりに見えた。なのに私は何も出来ず固まったまま、私が大半を飲んでしまったワインの残りが、彼の胃の中に落ちていくのを呆然と見ていた。
……私、さっき思いっきりジェイドの目の前で、彼のワインを飲んだよね?
ジェイドだって、思いっきり見ていたよね?
わ、私が、彼の飲みかけを飲んで……さらに私の飲みかけをジェイドが飲んだら……お互い、間接キスしたってことに――
「はぁ……中々効きますね、この地域のワインは」
ワインを全て飲み干し、ジェイドが息をつく。そして、恐らく目をまん丸くしたまま固まっている私に向かって瞳を細めた。
「どうしたのですか、コーラル?」
「い、いや、えっとその……それ、わ、私が口つけた、やつ……」
何とか言葉を吐き出すと、ジェイドは、ああ、と呟き、ジョッキに視線を向けた。そして、不思議そうに首を傾げながら、私に問う。
「それが何か? もしかして、その歳になって、間接キスとか気にしているのですか?」
思いっきり言い当てられ、私の頬に熱が上がるのを感じた。それを見て、彼の口角の片端が上がる。
「小さい頃、ケーキやアイスなど、二人で一つのお菓子をつついていたではないですか」
「そ、それは、子どもの頃の話でしょ! わ、私たちはもう大人だ、し……」
「そうですね。でも――」
彼の唇が私の耳元に寄る。
低い囁きが、耳から頭の奥に吹き込まれる。
「俺は、大人になっても全く気にしないけど」
耳の奥をくすぐるような囁きと言葉が、私の頭の中を羞恥でいっぱいにする。頬が火で炙られたような熱をもち、鼓動が早鐘を打つ。
確かに、彼の言うことは正しい。
小さい頃は良くお互いのおやつを分けっこをし、間接キスなんてしまくった間柄なのだから、大人だからと今更意識するのはおかしい。
だけど理性が納得しても、感情が納得するかは別問題なわけで。
恥ずかしくて何も言えずにいる私に、ジェイドが更なる追い打ちをかける。
「コーラルは、嫌だった?」
息が止まる。
彼に問われて気付いたからだ。
恥ずかしかった。
滅茶苦茶恥ずかしかったけど……不快ではなかったから。
でもそれを言っては駄目な気がする。
ジェイドとの偽装婚約は、お互い、本当のパートナーを見つけば終わるのだ。
終わりが来る関係だと、分かっているからこそ――
「……あっ」
ジェイドが声をあげた。先ほどの妙な熱っぽさや甘さはない。
私も釣られて、彼の視線の先を見て小さく声をあげた。
私たちの視線の先にあったのは、目的の人物の一人――ルーリン・マインの婚約者であり、ルーリンの妹と浮気をしているクソ野郎ことフィンラン・ハルザクセンが歩く姿だった。
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