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第16話 追跡
「よし、フィンランをボコりに行こう」
「……今初めて、あなたが家庭円満の女神に相応しいか、迷いが出ました」
「なんで⁉」
「とりあえず、体を透明化させて、フィンランの後を追いましょう。神器に不審な点があったのは、彼が映っていた時ですから」
「え、無視⁉」
だけどジェイドからの返答はなく、本当に無視されてしまった……
酷すぎない⁉
まだまだジェイドには言いたいことがあったけれど、視察に来た理由を考えると、文句を喉の奥に引っ込めるしかなかった。
人間界への視察にあたって、神々は実体か霊体かを選べる。
実体を選ぶと、仮の肉体を受肉した状態で降臨する。
肉体的な制限は人間と一緒だし、使える魔法にも制限がある。不自由ではあるけれど、仮の肉体なので、例え傷ついたり死ぬようなことがあっても、私たちの本体には影響はない。
霊体だと、肉体がない状態で降臨する。肉体的な制限もないし、人間には視えないし、魔法も天界と同じように使える。でも稀に私たちを視ることが出来る人間や、高位的な存在もいて、攻撃されることがある。霊体を傷つけられると本体も傷ついて危険なため、霊体での視察は推奨されない。
クリスタル画面型神器が使えれば安全だし、魔法だって存分に使えるから、気にしなくていいのに……
そんなことを考えながら、私たちは物陰に隠れて体を透明化させると、フィンランの後を追った。
フィンランは貴族令息であるはずなのに、一人で歩いていた。普通なら、護衛が一緒にいるはずなのだけれど、そういう感じでも無い。
お忍びだろうか?
その証拠に、彼はキョロキョロと周囲を見回すと、どこからか取り出した薄汚れたマントを羽織り、頭にフードを被った。
貴族であることを隠した彼が入っていったのは、路地の奥にある小汚い家だった。かなりの時間放置された空き屋なのだろう。色んな所が壊れていて、普通の人が住めるような建物ではなさそうだ。
どう見ても、貴族であるフィンランには縁遠い場所だ。
不思議に思いながら、鍵が壊れた扉をゆっくりと開ける。
実体化した状態での透明化は、あくまで体を見えなくするだけ。なので魔法を使って私たちの声と足音を消して家の中に侵入した。
足下に気をつけながら廊下を歩いていると、上の階からミシミシと床が軋む音が聞こえた。
「上、ね……」
私の言葉に、ジェイドはこくりと頷くと、二階に続く階段を見つけて慎重に上がって行った。
階段を上がった廊下の奥にある扉が、少し開いているのが見えた。そこから、人が話している声が洩れて聞こえる。
恐らく、フィンランはこの中。
だけど聞こえてくる声は、フィンラン以外にもう一種類あった。
他の誰かと一緒にいるのだろうか。
その人物と表立って会えないから、コソコソしながらこんな場所に?
もしかして……新たな浮気相手?
まさかの三股疑惑浮上に、私の心に怒りの炎が燃え上がる。
だけど、今にも爆発しそうになっていた怒りは、ドアの隙間から聞こえてきた、フィンランとは違う低い声によって、呆気なく鎮火した。
「フィンランと話しているのは、男性……のようですね」
「え、ええ、そうね……」
ジェイドの言葉に、私は心ここにあらずといった様子で返答した。新たな女か⁉ と身構えていたのに、肩透かしを食らった気分だ。
……いや、まあ新たな浮気相手でなければ、それはそれでいいことなんだけれど。
ドアは僅かに開いている。
けれど、
「ここから魔法で透視した方が安全……よね」
体は視えないとはいえ、何があるか分からない。
慎重に慎重を重ねた方が良い。
ジェイドが頷いたので、私は自身の瞳に透視の魔法をかけ、ドアの向こうに目を凝らした。
ドアがボヤーッと薄くなり、やがて私の視界に部屋の中が映った。
部屋の中もボロボロだった。床のあちらこちらに穴が開いていて、朽ち果てた小さなベッドが置いてある。破れたカーテンの向こうに、ガラスにヒビが入った窓が見えたけれど、細い通りの向こうに建物があるため、あまり陽の光が入らなさそう。
そこまで観察し、私は目を瞬かせた。
だって部屋の中に、誰もいなかったから。
見間違いかと思って何度も部屋の中を見るけれど、人っ子一人いない。
「ジェイド、おかしいわ! 部屋の中を透視したけれど、誰もいないの!」
「それはおかしい。今だって、ドアの向こうから声が聞こえてきてるのに」
驚いたからか、透明化したことで人に見られることがなくなったからか、ジェイドの口調が、素に戻っている。
……けれど、今はそんなこと、気にしている場合じゃない。
ジェイドも、銀縁眼鏡の奥にある瞳を細め、ジッとドアを見つめる。そして少しの間ののち、
「……コーラルの言う通りだ。部屋の中には誰もいない」
と、私の見間違いでないことを認めた。
こんなことってある⁉
驚き、言葉を失っている私の傍で、ジェイドが動いた。足下に気をつけながら、ゆっくりとドアの方に近付いていく。
きっと、その目で中を確認しようとしているのだろう。
私も心の中で慌てつつ、彼の後を追った。
ジェイドはドアから向かって左側に立っていた。だから私は彼とは反対側――ドアの前に立って中を覗こうとした。が、
「コーラル。そっちだとドアが開いた時、出て来た人間とぶつかってしまう」
という声が聞こえたと同時に、ジェイドがいる方に体を引っ張られてしまった。
突然のことで抵抗も出来ず、引っ張られるがままになった私の体が、彼の腕の中にすっぽりと収まってしまう。
ジェイドの体温と心臓の鼓動が、服の上からだというのに伝わってくる。それだけじゃなく、彼の胸が上下する度に吐き出される息が、私の肌を撫でていく。
息、ぐるしい。
だけど、呼吸をしたくない。
だってこんなに近くじゃ、私が息が彼の息と混じってしまいそうな気がする。
これだってまるで、間接キスみたい、で――
……いやいやいやいや! 違うから!
こんなことで間接キスになるなら、私は空気を通じて、ありとあらゆる者たちと間接キスしてることになるでしょ!
何、馬鹿なことを考えてるの私!
ジェイドは、中から人が出て来たときのことを考えて、私を引き寄せただけ!
それだけ!
まだバクバク言っている心臓に鎮まれと念じながら、私はジェイドに背中を向けて、ドアの隙間に顔を寄せた。
私の上の方で、ジェイドも隙間から部屋の中を覗く。
部屋の中は薄暗かった。
破れたカーテンの向こうにある窓から入ってくる薄明かりによって、辛うじて部屋の中が分かる状態だ。
私が透視したときに見た光景と同じ。
ただ二点の相違を除けば――
「……フィンランだわ」
朽ち果てたベッドの前にいたのは、フードをとったフィンランだった。
そして、もう一つの相違点は……
「ベッドの上に誰かいるな」
ジェイドの言葉に私は目を凝らした。だけど、ベッドの上の人物の前にフィンランが立っているせいで見えない。
色々と疑問はあるけれど、一つハッキリしたことがある。
透視の魔法ではフィンランたちの存在が視えなかったのに、肉眼では視えている。
それは、一つの事実を示していた。
「……フィンランとベッドの上の人物が神々が視えないように、目くらましの魔法がかけられている。つまりこれは……」
「同族の仕業、だな」
私の言葉をジェイドが引き継いだ。
全身から、血の気が引いていくのが分かった。
次の瞬間、狭い部屋に彼の怒声が響き渡った。
「僕はどうなっても構わない‼ お前が望むならアルミーとだって結婚してやる! だから……これ以上ルーリンに構うな‼ たの――」
「そんなことを言える立場なのか、フィンラン? 口を慎め」
フィンランとは違う低い声が聞こえた瞬間、ドンッという鈍い音が聞こえたかと思うと、フィンランがお腹を押さえて蹲った。
ベッドに座っていた人物が立ち上がり、ゲホゲホと咳き込むフィンランの上に影が落ちる。
嘲け笑いながらフィンランを見下ろしているのは――ルーリンに恋心を抱くいじらしい青年……だと思っていた、アザレス・ノウィンだった。
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