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第17話 私が向き合うべきもの
目の前の光景は、夢?
だって、私がルーリンの恋人として推していた相手が、自分よりも立場が上であるはずのフィンランにぞんざいな態度をとっているのだから。
だけど私の想いは、儚く散った。
蹲ったフィンランの髪の毛を掴んだアザレスが、無理矢理彼の顔を自分の方に向けさせたのだ。苦しそうに咳き込む音がしたかと思うと、再びフィンランが蹲った――いや、今度は埃の溜まった床の上に倒れてしまった。
先ほど以上に咳き込み、呻き声を上げている。
ここからじゃ見えなかったけど、恐らく、フィンランのお腹を殴るか蹴るかをしたんだわ。
ルーリンを影から見守る優しい騎士見習いというイメージが、ガラガラと崩れ落ちていく。だけど目の前の光景から目を逸らすことは出来なかった。
アザレスは腕を組むと、フィンランを見下ろしながら鼻で笑った。
「そうだ。お前は今まで通り、アルミーと逢瀬を重ね、ルーリンに冷たく接すれば良い。それ以外、余計なことはするな」
「わ、かった……だから、ルーリンには、てをださないで、く、れ……」
まだ痛みがあるにも関わらず、フィンランは喉の奥から声を絞り出しながら、アザレスに向かって手を伸ばす。
しかしアザレスにその手を踏まれ、短い悲鳴をあげた。
「手を出さないでくれ? は? まるで俺が、ルーリンを不幸にするような物言いだな?」
楽しそうに笑うアザレスの表情が、怒りに満ちた形相へと変わる。グリグリとフィンランの手を踏みつける姿は、いじらしく影からルーリンを見守っていた彼とはもはや別人だ。
「お前が現れなければ……っ! お前さえ、いなけれ、ばっ‼ ルーリンは、俺のものに、なるはず、だったんだっ‼ おまえ、さえっ、いなければ‼」
はぁはぁと息を切らし、アザレスはフィンランの手から足をどけた。
あれだけ踏みつけられたというのに、フィンランの指がピクリと動き、やがてゆっくりと拳を作る。
「お前がルーリンを幸せに出来るなら、僕はそれで構わない……」
か細い声を出しながら体を起こすフィンラン。しかしここから見える彼の後ろ姿からは、決して弱々しくはなかった。
「だが、お前がルーリンを幸せに出来るとは思わない‼ 僕に復讐したいのなら好きにすればいい‼ 殺したければ殺せ! その代わり、ルーリンには手を出すな‼ アルミーも元に戻せ!」
心の底からの叫びが、私の心に突き刺さった。
手先から温度が失われていく。
鳩尾あたりにツキンと痛みが走り、頭の中を殴られたような衝撃が走る。
思い知らされる。
突きつけられる。
自身の愚かさを――
憎しみに囚われ、見るべきことを見ようとしなかった。
目に視えていることだけで、全てを判断しようとしていた。
……いや、違う。
見えている情報から、自分の見たいことしか見ていなかったのだ。
私の憎しみを晴らすための、理由だけを――
アザレスから、肌を刺すような殺気が放たれた。懐に伸びた手が取り出したのは、短剣。
「……なら、お望み通り、今ここで殺してやる」
低いうなり声のような声色を発しながら、アザレスが短剣を振り上げた。
次の瞬間、
「なにっ⁉」
声を上げながら、アザレスは自身の顔を腕で覆った。
というのも、彼の後ろにあった窓ガラスが突然割れ、ガラスの破片が彼に向かって飛び散ってきたからだ。しかし庇いきれなかったため、頬やこめかみ、そして腕などが切れ、血が溢れ出している。
アザレスは床に落ちている石を見つけると、舌打ちをした。
「チッ……外から窓ガラスが割られたのか。悪戯か?」
割れた窓に視線を向けながら、呟く。
しかし私には分かっていた。
ジェイドが、魔法でガラスを割ったのだ。
悪戯と片付けたアザレスは、床に蹲ったままなフィンランを一瞥すると、興が削がれたのか、
「……まあいい。ルーリンは俺が幸せにする。お前は今まで通り、アルミーと仲良くしてろ」
と吐き捨て、ドアを開けて部屋を出て行った。
私たちのすぐ傍をアザレスが通り過ぎていくのを、息を止めて見送る。
……ジェイドが注意してくれなければ、ドアが開いた瞬間、アザレスとぶつかっていたところだわ。
ほんと良かった。
アザレスの姿が見えなくなると、私は両肩の力を抜いた。だけど、部屋の中から聞こえてきた静かな嗚咽によって、再び体に緊張が走る。
部屋に残されたフィンランが泣いていた。
声を押し殺しながら、しかし耐えきれずに洩れる嗚咽が、私の心を締め付ける。
時折嗚咽に混じるルーリンの名前が、私の愚かさを責め立てる。
だけど……これは私が向き合うべきものだ。
「フィンランは浮気していたんじゃない。アザレスに脅され、泣く泣くアルミーと浮気をしているフリをしていたのね……」
「それにアルミーだって、フィンランと本当に浮気しているのか分からなくなったな」
「そう、ね……」
”その代わり、ルーリンには手を出すな‼ アルミーも元に戻せ!”
フィンランの発言を思い出す。
そして――
「恐らくこの一件には、天界の神が関わっているわ」
クリスタル画面型神器の映像への細工。
そして、私たちの透視を妨害する魔法。
間違いない。
でも誰が?
一体何の目的で?
分からない。
私を恨んでいる人に、心当たりはない。
一瞬、ディラックの顔が浮かんだけれど、彼は大雑把な性格だから、こんな手の込んだことなんてしないはずだから、除外。
誰かが、私の邪魔をしようとしている。
本来、天界と人間界の発展のために協力し合う関係であるべき神々の中で、私を裏切り、妨害しようとしている者がいる。
「……あれ? 痛みが……急になくなって……」
フィンランが泣くのをやめ、自身の体を確認しだした。
痛みがなくなったのは当然だ。
私が、治癒魔法をかけたから。
きっとアザレスに痛みつけられた傷も癒え、驚きの声を上げるに違いない。
だけど私はそれを見届けることなく、この場を後にした。
そして、黙って後ろをついてきているジェイドに背を向けたまま、静かに決意を口にした。
「彼らに関わっている神が誰でどんな理由があるは知らないけど……守るわ。私の信者を……ルーリンを大切に思う者たちを――」
それが、私の償い。
今更気付いたのかと、ジェイドに馬鹿にされても仕方がない。
しかし彼は、私を馬鹿にしなかった。
ただ私の隣に来ると、
「……ああ、もちろんだ」
私の決意に力強い頷きを見せてくれた。
今まで曇っていた視界が、急にひらけた気がした。
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