第6話 偽装婚約

1/1
前へ
/17ページ
次へ

第6話 偽装婚約

 突然、ジェイドに婚約者宣言をされ、私は激しく目を瞬かせることしかできなかった。  ディラックも、私と同じように短い瞬きを繰り返していたけれど、 「どうかされましたか? ディラックさん」  ジェイドが僅かに首を傾げてそう言ったことで正気に戻ったのか、言葉を詰まらせながら反論した。 「い、いきなり何を言い出すかと思えば……お前がコーラルの婚約者⁉ そんな話、聞いていないぞ! 口から出まかせを言うな‼」  私も思わず、ディラックの言葉に同意しそうになったけれど、突然ジェイドに肩を抱かれたことで、喉の奥から飛び出しそうになった言葉が引っ込んでしまった。  お互いの体が密着する。  私の肩を抱く彼の力は、痩せ型でナヨナヨとした印象とは違って強くて、驚いてしまった。  彼の力強さを意識するたびに、心臓が大きく音を立てる。  小さい頃は私たち、さほど力に差はなかったのに。  幼馴染みの変化に戸惑っている私の傍で、ジェイドの淡々とした声が響いた。 「それもそうでしょう。彼女と私が婚約した件は内密にしていたのですから」 「そんな都合のいい話があるわけないだろ! コーラル、嘘だよな?」  まあ、私も初耳で驚いているわけなんだけど。  しかし、何だろう。  先ほどとは一変、焦っているディラックの姿は愉快だった。  さてどう答えようと思い、ジェイドを見る。  どれだけディラックに怒鳴られても、どこ吹く風。ジェイドの表情は、彼がこの場に現れてから全く崩れていない。  だけど私の視線に気付いたのか、こちらを見つめ返す彼の深い青からは、心なしか訴えかけるような強さが伝わってきた。  同意しろってこと?  つまり、私をディラックから助けようとしてくれてるの?  もう何年も会っていない私を?  どう、して――  思い浮かんだ可能性と同時に、たくさんの疑問が湧き上がったけれど、私はグッと喉に力を込め、ディラックを睨みつけながら言い放った。 「え、ええそうよ!」 「そ、そんなこと、一言も言ってなかっただろ‼」 「当たり前です。彼女はあなたに理不尽な理由で、突然別れを告げられたのです。周囲に知らせるのに慎重になるのは当然ではありませんか?」 「うっ……」  ジェイドとの婚約を伝えなかったのはお前のせいだと丁寧に告げられたディラックは、言葉を詰まらせて黙り込んでしまった。  私の肩を抱くジェイドの手に力がこもり、ますます私たちの体が密着する。  まるで、見せつけるかのように。  淡々としていたジェイドの声色から、更に感情らしきものが消える。 「そういうことですから、今後私の婚約者が嫌がることを、強要なさらないでください。もし今後も続くようであれば、私はノア家を通じてあなたの家――ヘイス家に抗議させて頂くしかなくなります。あなたのお父上は、大層厳しい方で――」 「分かった! もうコーラルに付きまとわないから、それ以上言うのは止めろ!」 「ご理解頂けて良かったです。以後お気をつけください」  ディラックは完全に沈黙した。俯いているため、長い前髪が垂れて表情は分からない。だけど、握りしめた拳は震えていた。    私はジェイドに促され、この場を後にした。  廊下の角を曲がる際、少しだけ振り返ってみると、私たちを今にも射殺しそうな視線で、ディラックがこちらを睨んでいた。  少しだけ心が晴れた気がした。    それはいい。  いいんだけれど…… 「ちょっとジェイド。少し時間を貰えない?」  問題は、何故私がジェイドの婚約者だなんてことを言い出したのかってこと!  ジェイドが頷いてくれたため、私は誰もいない部屋に入った。  部屋は少人数用の会議室だ。真ん中にはテーブルと椅子が置いてあり、クリスタルの大画面型神器が置いてあった。  鍵をかけ、声が外に漏れないように魔法をかけると、改めてジェイドに向き直る。  頭からフードを被り、だぼっとしたローブを身にまとう幼馴染。  よくよく見ると、幼い時の面影が残っている。だけど本来ならあった豊かな表情が、今はない。  彼が何を考え、あんなことを言ったのかは分からないけれど、 「……ありがとう。助けてくれて」  それは間違いないと思った。  もしジェイドが来てくれなければ、ディラックの言いなりになっていたかもしれない。その先は……考えたくもない。  ジェイドは銀縁眼鏡を指で押し上げながら、いいえ、と簡潔に述べた。  お互い口を閉ざしてしまい、気まずい空気が流れる。  数年ぶりに再会した幼馴染み相手なのに、他人行儀すぎる彼の態度のせいで、分厚すぎる壁を感じてしまう。  だけど先に沈黙を破ったのは、意外にもジェイドだった。 「フレイズローザ様に、あなたのことを聞きました。ディラックさんの浮気で捨てられた腹いせに、人間たちのざまぁに手をかしていたせいで、家庭円満の女神から下ろされそうになっていることを。だから先ほどの光景を見て、恐らくディラックさんに脅されているのではないかと思ったのです」 「そうだったのね。でも、よく脅されているって思えたわね」  ディラックは、外面がとても良い。  もし誰かが横を通り過ぎても、彼が私を脅しているという発想には繋がらなかっただろう。  ジェイドは小さく、ああ、と呟くと、 「あなたが辛そうな表情で指先を弄っていましたから。昔から、何かに迷い悩んだらする癖でしょう?」 「えっ? 指先、弄ってた……?」 「はい。だから何か非常に辛い選択を迫られていると予想がついたのです。現状、あなたがあそこまで切羽詰まった表情を見せるなど、家庭円満の女神の座を降ろされることぐらい。そこにディラックさんに詰め寄られているとなるとと、後は簡単なことです」  私の癖、覚えていたの?  最後に見てから、もう何年も経っているはずなのに……   ……あれ? 私、今ちょっと嬉しい?  自分の中にある感情を認めた瞬間、体中の血液がもの凄い勢いで流れ出した。  このままでは、顔が赤くなってしまって、ジェイドに良からぬ誤解を与えてしまうかもしれない。  私は、嬉しいという感情が生まれた理由を心の中で否定すると、大きく呼吸をして心を落ち着かせた。  だけど今度は、別の不安が湧き上がる。 「で、でも……ディラックにあんなことを言って大丈夫?」 「あんなこと?」 「ほらっ、私があなたの婚約者だなんていう嘘を……ディラックが広めちゃったらどうしよう……」  あの場を納めるためであれば、最強の嘘だっただろう。  ディラックには一泡吹かせることができたし、彼に搾取されることもなくなった。  だけど――  ジェイドの口元が一瞬だけ緩んだ気がした。  何があっても全く表情を崩さなかったジェイドなのだ。見間違いかと思い、目をこらして彼の口元を見るが、それを確認する前に彼の唇が動いた。 「それなら、嘘を本当にすればいいのです」 「えっ?」  嘘を、ほんとう、に……?  そ、それってつまり、 「本当に、婚約するんですよ」 「こ、婚約ぅぅぅーーーー⁉」  私の絶叫が響き渡った。  いやほんと、声が外に洩れない魔法をかけていて正解だった。こんなことをジェイドから提案されるなんて……  しかしジェイドは、婚約を提案した相手に伝えているとは思えない程淡々とした声で、提案の理由を述べていく。 「実は私もいい歳だからと、色々なところから見合い話を持ち込まれ、辟易していたのです。もしあなたが婚約者になってくれれば、色恋沙汰に振り回されることなく、仕事に集中できるので、大変ありがたいのですが」 「い、いや、ちょっと待って! 婚約となると、私たちだけの問題じゃなくなるでしょう⁉ ほら、両親にも報告しないといけないし……」 「古くから交友のあるイルミナ家なら、私の両親も二つ返事で了承するでしょう。もちろん、あなたの事情も伝えておきます。両親なら、喜んで力を貸してくれるはずです」  ま、まあ、イルミナ家も、ノア家なら問題ないだろうけど…… 「お互い、古くからの付き合いのある家同士だからこそ、出来る作戦だと思います。私は、上司たちからの見合い話を断る理由を得る、あなたは家庭円満の女神に相応しい人物だと、周囲にアピールできる。お互い、メリットしかないと思いますが」 「そ、そうね……」  話を聞けば聞くほど、私たちにとって良いことしかないように思える。  私は家庭円満の女神を降りたくない。  だけどフレイズローザ様の仰るとおり、家庭円満の女神を続けたいのなら、信者の信仰心を取り戻すだけでなく、新たなパートナーを探し出し、幸せな関係を築けることも、最高神の皆さまに見せるべきだろう。  とはいえ、新たな相手を見つけられるほどの魅力が、私に魅力があるわけでもない。  まあ、フレイズローザ様や周囲の人々を騙す形になるのは、良心が痛むけれど……ジェイドからの提案は、私が抱える問題を解決するチャンスだ。  私は彼を愛していない。  だけど彼も私を愛していない。  お互い、メリットがあるから偽装婚約をする。  ただそれだけ。  だから頷く。  彼の瞳を見据えながら、真っ直ぐに伝える。 「分かったわ」 「これで取引成立ですね」  私は、ジェイドから差し出された右手を握り返すと、ふと思ったことを口にした。 「といっても、もしあなたが結婚したい相手が見つけたら、その時は気にせずに教えてね。あくまでお互い、本当のパートナーが見つかるまでってことで」  偽装婚約だもの。彼を縛るつもりはない。  ジェイドにもジェイドの都合はあるだろうし、心変わりだってあるはず。そのとき、私との取引で彼の足を引っ張りたくはない。  元はと言えば、私がディラックに浮気されて振られ、その腹いせにざまぁをしていたせいなんだから。  すぐに返事をくれると思ったジェイドだったけれど、 「…………りえないけど」  確かに何かを言ったけど、私には聞き取れなかった。  私が聞き返すよりも早く、ジェイドは銀縁眼鏡の位置を指で戻し、 「あなたがそう希望するのなら」  と、私の意思を尊重する言葉だけを口にした。  結局ジェイドは、自身も私の提案に肯定しているのかどうかハッキリとはさせなかったけど……聞くまでもなく同意ってことで、いいのよね?
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加