第2話 桜舞う、ご神木の下で。

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出したのは、今買ったばかりのウインナーロールだ。 状況がつかめなくて固まる私の前に「どうぞ」と、透明の袋に包んだウインナーロールを置いた。 ようやくはっとした私は慌てて断ったが、男性は頑なに受け取らなかった。 「大丈夫です。僕、これから帰るだけですし」 「でも――」   男性はビジネスバッグとパンの袋とを両手にひとつずつ持ち、店のドアを開けた。 「お仕事、頑張ってください」 そう言って、一礼する。 右手に持ったくじらのロゴが入った袋を胸の前に掲げ、 「コロッケパンとラスク、娘が好きなんです」   言いながら柴犬スマイルで微笑んだ。   しんと静まり返った店内に残された私の脳内には、男性の言葉がぐわんぐわんと音を立てて反響していた。 娘が、好きなんです――。 「娘、いたんだ」   お客さんとどうこうなろうなんて考えていたわけでは無いのに、なんだこの気持ちは。このショックは。   可能性の欠片も無いとはわかっていながらも、推しのアイドルの結婚報告を聞いた時のファンの気持ちは、こんなふうなのだろうか。  チーン。   間の抜けた効果音が頭の中に響いた。
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