第2話 桜舞う、ご神木の下で。

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資金の借り入れはしない。   そう心に決めていた通り、私自身の労力と引き換えに、予定していた金額のなかでリフォームを終えた九月。   それからは、必要な厨房機器やディスプレイ用の備品に余った予算を次ぎ込んだ。 とはいえ、キッチンカーも借りなければならないので、その分は置いておかないといけないのだが。  今日は最後のバイトの日だ。 これからは自分のお店に集中しなければならない。 開業までにやらなければならない届け出や、メニュー作りなど、やるべきことは山積みだ。 「これ、余ってるからあげるよ」   くじらさんがバイト終わりに渡してくれたのは、バゲットなどをディスプレイするパンスタンドとバスケットだ。 「こんなに使わないから」   そう言って、商品を乗せていくトレイとトングも紙袋に入れて持たせてくれた。 「最初は大変だと思うからね。出来るだけお金は置いておきな。良かったら、秤とかボウルもいくつか持って行くかい」   えいこらしょ、と次々と棚から大小サイズの違うボウルを出し始めた。 「このお店が回らなくなっちゃうから貰えないよ」   ボウルや秤だけでなく、パン作りに必要な道具までも袋に入れていく鯨さんを慌てて制した。 「良いんだよ。私からのお祝いだと思って受け取って。新品じゃないのは申し訳ないけどね」   はいよ、と手渡してくれた鯨さんの、皺だらけの手が私の手を包み込む。 「頑張るんだよ。忙しくても、丁寧に。ひとつひとつを大切に」   鯨さんの手が、私の背中に触れた。 「鯨さん、本当にありがとうございました」 深々と頭を下げる私を、鯨さんが「嫌だよぉ」と大笑いした。 「空き店舗を挟んだだけの、同じ商店街の仲間になるんでしょうに」 「そうだね」   思わず笑みが零れる。 九十一歳になった鯨さんの顔に刻まれた笑い皺に、深いほうれい線。 名前もわからない無数の皺で、笑うとくしゃくしゃになる。 この笑顔を一生記憶に刻んでいたい。 ふと、そんな風に思った
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