第3話 忍陵町商店街「旅するアヒルパン」

10/12
前へ
/47ページ
次へ
「ゴミ箱よ」   何をそんなに神妙な表情になる必要があるのか。 「二・三日に一回くらいかなぁ。最初の頃は毎日やってみたけど、そんなにゴミも貯まらないんだよね。それに生ごみが捨てられる事って殆ど無いし」 「駄目だよ。面倒でも毎日やんな」 「でも――」 「だーめ」   鯨さんはレジを閉めると、老眼鏡をシャツの胸ポケットに仕舞いながら頭を振った。 「お父ちゃんは毎日やってたよ。今からやっといで」 「……うん」   あの店は私の店なのに。  「そうだ。明日から、ほたるちゃんのお店にも食パンの耳を置いてあげてくれないかい。うちの常連さんがそっちに行くようになると思うから」 「はあい」 棒読みの返事をし、店を出て扉を閉めようとした手を、僅かに残った理性で食い止めた。 「鯨さん」 「なんだい」   厨房に戻ろうとしていた鯨さんが、ゆっくりとした動きで振り返る。 「鯨さんのパン、私、大好きだったよ」 「そうかい。ありがとね」   創業から七十年。 入口上のテントには経年によってす色褪せたくじらベーカリーの文字と、可愛らしいくじらの絵が道行く人を見守る。   忍陵商店街で長年愛されたパン屋は、静かに幕を下ろした。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

34人が本棚に入れています
本棚に追加