第1話 ほたるの決意

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「時間だけじゃなくて、ちゃんと生地の様子を見るんだよ。時間はあくまで目安だから。カレーパンは、うん。まだ少し早いかね。あっちの卵塗ってる間に仕上がるね」   マスク越しに鯨さんが二次発酵用の棚に入ったブリオッシュを顎で指した。 「急ぎます」   慌てて残りの成型に取り掛る私の背中に、鯨さんの細く薄い手の平が乗った。 「まだ開店には時間もあるから、落ち着いて。確かに忙しいし、のんびりされちゃ困るけどね。丁寧に、ひとつひとつを大切に作る方が大事」   カレーパンは私が見ておくからと、鯨さんは慣れた手つきでクッキー生地に網目模様を入れていく。 あれはメロンパンに乗せるものだ。 丸い生地の上にあのクッキー生地を乗せて焼くと、表面はサクサク、中はふわっとしたメロンパが出来上がる。 厨房の窓から見える空は、深い藍色が広がっていた。   くじらベーカリー。 鯨マサエさんの旦那さんが始めたパン屋だ。 旦那さんが亡くなった後、商店街では閉店も噂されていたようだが、休業することもなく、葬儀の翌日も通常通り営業していた。 「一度決めたら死ぬまでやるの」というのが、彼女のモットーらしい。
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