クローディアに捧ぐ

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 ——私の(はらわた)は、真っ黒である。  いや、臓物に限った話ではなく、この四肢、頭、頸、胸、腹、顔面、それら私を構成する全ては、まるで黒い闇に呑み込まれたように真っ黒なのである。  なにか外傷を負って、とか、後天的な病によって、とか、そのような理由ではなく、ただ単に、私はそういう生き物なのだ。私は少なくとも、物心ついたころから真っ黒で、自分の顔が整っているとか整っていないとか、そんな次元の悩み事を抱くことすら叶わない身で生まれてきた。  この世界の歴史において、一体いつから私たちのような生き物が人間社会に存在するようになったのか。それはなぜか、はっきりとしていない。もしかしたら、人間の間では周知の事実なのかもしれない。私たちのような生き物は「影」と呼ばれ、人間のように教育を施されることはなかったから。  ただ、私たち「影」はいつのまにかこの世界にやって来て、私たちの預かり知らぬところで人間に害をもたらす生き物として周知され、当たり前のように虐げられてきたのだ。  人間たち曰く、私たち「影」は、人間とは全く違う生き物らしい。色はもちろん、臓物のカタチも、能みそや神経の機構も、人間とは全く異なっている。だけど、しかし、私たちは人間のように喋るし、考えるし、恋だってするし、少なくとも外形は人間にそっくりだ。だからきっと、人間たちは「影」が疎ましいし、どこかで恐れている。  人間のようでいて人間じゃない私たちが、きっと恐ろしいんだ。  だから、人間は「影」を自分たちよりも劣った存在として頑なに虐げようとする。そうやって自分も周りも、「影」も騙して、心の底に漠然と存在する恐怖を紛らわせているのだ。  ——というのが、旦那様の口癖だった。  旦那様は私の真っ黒な頬を撫でながら、よく言った。顔の造形なんてわからなくても、私は君を美しいと思う、と。その言葉が、その熱い掌が、その優しく細まる目が、何も持ってなかった私の全てであった。  旦那様は随分と変わったお人だった。頭のネジが何本か外れていないと、戸籍は入れられないにしろ、「影」をほとんど妻として迎えようなんて、考えにも至らないだろう。「影」は人間でもないのだから。  だから、私はおそらく世界で一番幸せな「影」だった。  ——それも、ついこの間までのことだ。旦那様はぽっと現れた病に、呆気なく殺された。  旦那様は、私にとって、この世界で唯一の「人」だった。この世界で唯一、頼りになる存在だった。私の全てだった、と言ってもいい。  その旦那様が亡くなってしまった今、私はどうやってこの世界で生きていけば良いのか、とんとわからないのだ。  それを知って、私の道先を旦那様は、教えようとしてくださったのかもしれない。  突然現れた旦那様の親戚なる人たちが、旦那様の家にあったものは全て持って行ってしまった。私に残ったのは、これだけだ。  旦那様の忘形見は、これだけ。黄ばんだ薄い冊子一冊。おそらくこれは、旦那様が私に宛てたものだ。  私はそれを、ゆっくりと開いた。  
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