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黒猫がいる。黒猫が寝ている。塀によって日陰が作られる位置で寝ている。私が近寄ると気づいたようで薄く目を開ける。けれど暑いせいか逃げることもなくそのまま私を見るだけだ。
黒猫は好きだ。かわいいと思う。私が黒い色を一番好きということを置いておいても一番かわいい猫は黒猫だと思う。
「写真撮ってもいいかな?」
誰に許可を求めるでもなく口から言葉が出てくる。もちろん周りには誰もいないから誰からの返事もない、そのはずだった。
「今は気分じゃないからだめ」
答えが返ってきて驚く。その拍子に既に起動していたカメラアプリのシャッターボタンを押してしまう。カシャリ、音が終わるときには黒猫はすぐそこの塀の上まで登っていた。
「気分じゃないって言ったでしょ」
黒猫が去っていく。やっぱりそうだ、あの黒猫が喋っている。そんなはずはないという常識は目の前の事象に勝つことができない。
撮ってしまった写真はぶれて黒猫が黒い影となっていて、何を撮ったのかわからないものになっていた。今の私にとっては黒猫の写真なので消すことはできないけれど、数年後の私が何を撮ったのだろうと今の私のことを疑うのは確実な写真だ。
あの黒猫が写真を撮らせてくれる気分になることはあるのだろうかと考えながら。その日は帰った。
その日から毎日あの黒猫がいた場所に行った。けれどやっぱり猫は気まぐれなのかあの黒猫がいることはしばらくなかった。次に会えたのは最初に会った日から一週間をぎりぎり過ぎないくらいの日の日が沈むちょっと前、最初に会った日よりも遅い時間だった。
「こんにちは」
「あら、今日は礼儀正しいのね」
確かにあの黒猫と同じ子だ。黒猫が好きとは言え黒猫の区別がつくわけではない。目の色が違っていたら気づくだろうけれど多分毛の色のわずかな違いでは気づけないだろう。けれど喋る黒猫は、いや喋る猫はこの子にしか会ったことがない。
あの日から私は道行く猫に毎回話しかけた。あの黒猫が特別なのであって私が特殊能力を得たのではないと確認するために。そしてどの猫も普通ににゃあと鳴くだけであの黒猫のように喋る子はいなかった。やっぱりあの黒猫が特別なんだと思ったところで再会できた。
「今日は写真撮らせてくれますか?」
「今日は割といい気分だったけど今は違うからだめね」
どうやら私はタイミングが悪かったらしい。気分を害さないように素直に引き下がる。
「ほんの少しお喋りはできますか?」
「まあ少しくらいなら……あなたが聞いて私が答える形で、私が眠くなる前なら」
「ありがとうございます。それじゃあなんで私とあなたは喋れるんでしょうか」
「知らない」
「あなたはほかの猫と喋れるんですか?」
「私はあんまり喋らない方だけれど、あの子たちの言ってることくらいはわかるよ」
「じゃあその猫たちは普段どんな話をしてるんですか?」
「それはあの子たちのプライバシーのあれやこれやにひっかかるからだめ。うん、もう気分じゃなくなったからこれで終わりね」
そう言って日の沈んだ後の道路を駆けて行ってその黒猫は消えた。質問が気に入らなかったのか、それとも単に気まぐれの気まぐれなのだろうか。別に答えは転がっていないし追い求める気もない。
その次に会えたのは多分翌々日くらい。いつもの場所にその黒猫はいた。私もいつものように話しかける。
「こんにちは、今日はお写真撮ってもいいですか?」
「ええ、今日は気分だから、こちらにおいで」
ついて行くと日当たりのいいところに大きな丸い石がある。黒猫はその石に飛び乗る。
「はい、どうぞ」
つい見とれてしまっていたのを慌ててカメラアプリを起動して写真を撮る。もちろん黒猫は逃げるそぶりもない。撮れた写真の美しさに息を吐く。
「もういい?」
「あっ、はい……ありがとうございました」
それで別れる。ああ、こんなにすんなり写真を撮らせてくれる日もあるのかという感動があった。
最後に、いや確かに私には黒猫の見分けがつかないからもしかしたら違うのかもしれないけれど、私がわかってる状態で最後にその黒猫に会ったのは写真を撮らせてもらった日から一週間と少し経った頃だった。
「こんにちは、いいお天気ですね」
一度写真を撮らせてもらったことで私の心に余裕が生まれていた。前に撮った写真はスマホの壁紙にして毎日見ていたから簡単な特徴はもう覚えていた。だから確かにその黒猫はいつも喋ってくれる黒猫だった。それなのに。
「にゃあ?」
いつもと同じ口の開き方、喋っていた声と同じ声でその黒猫は普通の他の猫と同じようににゃあとしか鳴かなくなっていた。
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