月曜日夜、逃げ出す

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月曜日夜、逃げ出す

 部屋に飛び込んでスマートフォンを操作する。  梓眞がゲイ。ショック以上に、ゲイの男の部屋に泊まるのは危険なのでは、と思った。だがデリケートなことだから、梓眞に直接そうとは言えない。  スマートフォンを操作する指が震える。先ほど梓眞から聞いた言葉が耳に蘇った。  ――俺と灯里は、昔つき合ってた。  ふたりのつながりや出会いをきちんと教えてくれない理由が、ようやくわかった。つき合っていたのなら、言えるわけがない。  呼び出し音が途切れ、相手の声が聞こえた。 「父さん!」 『なんだよ』 「梓眞さんと昔つき合ってたってどういうこと⁉」  莉久の問いに「なに馬鹿なこと言ってるんだ」とすぐに否定してくれることをこの期に及んでまだ願っていた。梓眞はたしかに「つき合っていた」と言っていたけれど、灯里は認めないかもしれないと思った。 『あいつ、しゃべったのか』  さらりと返ってきた言葉に頭の中が真っ白になり、手が震えるのを必死で抑え込んだ。梓眞はまだどこか気まずそうに言ったが、灯里はそんな気遣いすら感じられない平坦な声だった。 「ほ、本当なの? なんで?」 『なんでって? つき合った理由か?』 「うん」 『莉久はどういう相手とつき合うんだ?』  逆に聞き返され、答えに詰まる。つき合う相手は好きな人、思い合っている人だ。つまり梓眞と灯里はそういう関係だった――。  頭がついていかない。 『明日も早いんだ。切るぞ』 「ちょ、ちょっと待って! 俺、襲われるんじゃない? そんな危険なところにお世話になれって、父さんなに考えてるの⁉」  なぜ、そんなに冷静でいられるのかわからない。混乱する莉久などおかまいなしに電話を切ろうとするあたり普段の父だが、普段どおりすぎる。こういうときはもっと慌てたり弁解を重ねたりするのものではないのか。  灯里は電話の向こうでため息をついた。 『梓眞はそういうやつじゃない。ゲイだからって手当たり次第に男を襲うと思うな』 「でも男同士でつき合ってたんでしょ⁉」 『おまえは常識にとらわれすぎなんだよ。いろんなことをもっと柔軟に考えろ』 「できないよ!」  どんなに柔軟に考えたって、自分の父親が昔男とつき合っていたことを、そう簡単に受け入れられるはずがない。莉久がゲイなら同じ悩みをかかえていたのかと考えるなり、同調できるかもしれないが、莉久は異性が好きなのだ。同性を好きになる気持ちがわからないし、そんな経験もない。混乱するのは当然だ。しかもそのゲイの男の部屋にお世話になるなんて、思考回路がパンクする  そんな息子を擁護するでもなく、灯里は『隔世遺伝かよ』と呟いた。 『頼むから、梓眞が傷つくようなことは言わないでやってくれ』  低く静かな声が、逆に莉久の平常心を奪っていく。梓眞が傷つくとはどういうことか、自分より梓眞が大事なのか――そんな言葉が口から飛び出した。 『莉久は莉久、梓眞は梓眞だろ』  灯里は冷静に言い諭す。 「つき合ってたことは、本当なの……?」  もう一度、縋る気持ちで問いかける。 『本当だ』  肯定に間がなく、戸惑いや躊躇いも感じられない。もしかしたら、いつかは莉久に話す気でいたのかもしれない。 「母さんはこのこと知ってたの? もしかして、それが離婚の本当の原因……?」 『季彩(きさ)は知らない。離婚の原因でもない』  たしかに母がいるときから梓眞はよく遊びにきていたし、莉久も幼い頃からずっと梓眞に可愛がってもらった。母が梓眞と話していた姿も覚えている。だがふたりのあいだにそんな秘密が隠されていることを知らせなかったのは、許されないことではないか。 「納得いかない」 『おまえは本当に頭が固いな』 「父さんみたいに緩くなれない。母さんにずっと黙ってたんでしょ?」 『そうだな。今さら言ったって、もう別れてるからな。莉久がそこまで騒ぐとは思わなかった』  灯里の言葉は、ここにきて力なく聞こえた。  今、父はどんな表情をしているのだろう。ふと莉久は気になった。 『梓眞は過去だ』  言い切った声は、なんの陰もなかった。裏になんの感情もないことがわかるような、きっぱりと、はっきりとした声だった。
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