ブラックドッグ

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 音声記録開始。  2024年6月6日、現在午後6時16分。  私、不破(ふわ)臼人(うすと)は長年の研究の末、人類の悲願の一つを叶える画期的な発明を成した。この発明品が世に出れば、人類のみならず、生物界全体が大きな変化を迎える事になると信じて疑わない。  では、これより動物実験による最終テストを行う。  対象は先日野外で捕獲した野良犬。雌、成犬。おそらく雑種で、黒く毛むくじゃらの中型犬だ。健康状態に問題はない。  ……どうした。やけに落ち着いているじゃないか。というより、その目付きはなんだ? まるでこちらを軽蔑するかのような……。言いたい事があるなら言ってみろッ。  ……フッ、フフン。続けよう。  さて、この黒犬に、今回の実験ではあるもの(・・・・)を投与する。それは私が遺伝子改良した植物から生産したもので、元の植物はサトイモ科のAmorphophallus(アモルフォファルス) konjac(コンジャック)。この地下茎を破砕し、アルカリ処理及び熱処理を経て固めたゲル状物質だ。  有効成分やその作用機序も導き出せている。理論は完璧。残すはこのテストに成功するだけだ。数をこなす必要すらない。この最初の動物実験の結果一つで、科学に革命が起こる事になるからだ。  百聞は一見に如かず……、いや、早い話が、とも言える……! こちらがその世紀の大発明! 即ち、コンニャクであるッ!  ……っ見た目は普通のコンニャクそのものだが、これはただのコンニャクではないっ! これからこのコンニャクを、先程の犬に食べさせる。犬がコンニャクを食べても問題ない事は確認済みだ。私の理論が正しければ、あの黒犬は、「人間の言葉」を話すようになるはずだ!  そうッ! 動物が喋るッ! 犬、猫、その他、彼らの意思・思考が、人語に翻訳されて分かるようになる! ペットや家畜や野生動物と、コミュニケーションが取れるようになるのだッ!  これこそ人類の長年の夢の一つ! ペット、畜産、獣医療、研究、自然保護、その他地球上のあらゆる活動は変化するだろう! また一方で、それまで推測する他なかった「動物の気持ち」が顕わになる事で、多くの者が自らの傲慢さを痛感する事になるだろう!  前置きは以上……! いよいよ実験に移るとしよう。  さあ、出ろ。大人しくしろよ。そうだ。……それにしても、改めて見ると不気味な犬だ。この闇夜のような黒さ、イギリスに伝わるという魔犬、ヘルハウンドを想起させる。英語で゛black dog″には憂鬱、意気消沈の意味もあったな……。  ええい、何を幸先の悪いッ……! ヘイヘイ! 彼女! なんて動きしてんだい! さあ、こいつを食え! 甘味も付けてあるぞ! さあ……! 来いッ!  ……むぅ……。おっ……!  やったッ……! 食べ始めたぞ! いいぞ……、もう少し……。良し……!  食ったな? 食ったな? あれだけ食えば……。時間はかからない。すぐに効果は出るはずだ……! さあ! 黒い犬よ! 私の言葉が分かるか? 何か喋ってみろ! 人の言葉を喋ってみろ!  ……どうしたっ! ええっ? なぜ何も言わない! 巷の動物番組よろしく、「よいしょ、うんしょ」とか「わーい!」とか「ママー!」とか言ってみろ!  ぐぬぬ……! ハッ、そうかっ……! 動物が鳴いたり吠えたりするのは、元々何か現状に不満や不安がある時に限られる。「それ以上近付くな!」とか、「早く餌くれ!」とか「交尾したい!」とか。人間とて同じ。ベラベラ喋ってばかりいるのは不安や欲求不満を抱えている証拠だ。  なら、ほら! コンニャクをもっと食うか? ほら! ビーフジャーキーもあるぞ! ほらほら! そしてこのタイミングで……。防犯ブザーを鳴らしてみる!  …………。  なぜだっ! 吠えすらしない! 理論は完璧なはずだッ! 俺は正しいはずだっ! なぜ喋らないッ! 俺の言葉が分からんのかっ? ええッ?  なんとか言ってみろッ、このド畜生めっっ! これまで俺が、どれだけの金と時間を費やしたと思ってるっ! それもこの発明が世に出れば、無限とも言えるリターンがあると思えばこそッ! 今のペット産業の規模分かってるのか? ほぼ二兆円だぞ、二兆円っ! どれだけの金が俺の懐に――  くっ! なんだその目はっ! ああッ? 言いたい事があるなら言ってみろっ! 人の言葉で言ってみろッ!  ……どうしたっ……? 突然こいつ、部屋の中をくるくる回り始めたぞ。相変わらず何も言わないまま……。ハッ! これはまさか、禅宗で言う「無言の行」というやつでは? つまりジェスチャーだ! 円を描いているのは「まるでダメ」、片足を上げているのは……、って! こん畜生っ! ションベンしやがったっ!  ハァ……、ハァ……。とほほ……。実験は……、失敗だ……。まさに意気消沈……。こんなはずではなかっ――  今度はなんだっ? おいっ、どういう事だッ……! 犬の体が、みるみる白く変わっていくッ……! こんな現象は想定外だぞ? なんだっ? いったいどういう事だっ? 「……はああ、まったくうるせえジジイだな。ちったぁ静かにできねーのかよこのド○○が」  しゃ……、喋った……! 喋ったぞっ……! 喋ったーーーッ! ウヒャーーーーッ! 「うるせえっつってんだろこのクソジジイッ! てめえの○○な○○、○○して○○して○すぞ、このド○○がッ!」  これは……。想像していたのとは大分違うぞ。放送禁止用語だらけだ。後で編集するしかない。世間に出すのも……。っいや、それよりまずっ! 犬よっ、聞かせてほしいっ……! なぜ今まで何も言わず、それが突然白くなったのと同時に喋りだしたんだ? 「そんなの当たり前だろ。○○かてめえ? ()()は、『黙』ってるに決まってるだろ、この○○が!」  ……で、全身白くなって喋るようになったはいいが、自分のペットがこんなでは……。  ハハ……。おもしろい(・・・・・)……。
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