(1)悪野の涙

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 「ぶっ、はははははははは!」  悪野は意表をつかれ手を止める。凪の方を見た。  「何だ、狂ったのか」  凪は笑いをかみ殺した。悪野にたずねる。  「お前、女の子とやる時、ぴったんから始めるの?」  悪野はキョトンとした。  「ぴったん普通だろ」  「ぶっ、ぶぶっ、確かにそりゃ、個人の自由だな?」  悪野はうろたえ始めた自身に気づくまいと、憤慨で誤魔化している様子。  「なっ、何が言いたいんだ」  「いや、普通はもっちりから始まると思うんだけど……ソープのおねーたまから習うだろ。もしかして行ったことないのか、ソープ」  「行ったことくらいあるわ。そこでがっついたら、おねーたまから肘鉄食らって『まずぴったんからだよ』と教わったんだ」  凪は悪野に同情した。  「あー、からかわれたのか。おねーたま、みんなお茶目だからな」  悪野は怒り心頭の様子。  「からかわれてない!」  「ソープ嬢、みんな噂してるんだ。“聞いて。あの人、ぴったんからだよ”」  悪野は耳まで赤くなった。動転してるらしい。  「だって今までおかしいって奴は一人もいなかったんだぞ!」  「お前、部下しか相手にしたことないんだろ。部下は否定しないよ。でもまかないの時間になったら、話題はお前のことだと思うぞ。“聞けよ、親分はぴったんからなんだ”」  悪野の部下陣営から抗議の声があがった。  「嘘です親分! 親分は間違ってない!」  「オレ達、そんな噂してません!」  「ぴったん、間違ってませんよ!」  悪野はぶるぶる震え始めて、目は涙でいっぱいになった。  「お前ら……陰でオレの事を笑い物に……っ、笑い物に……っ」  凪は括られたまま、立ち上がって悪野を慰めた。  「まあ性癖は誰にでもあるから、別にぴったんからでも、別にぴったんーー」  凪は直後、悪野に背を向け、石膏ボードの壁に額をガンガン打ちつけた。額を熱いものが流れるのをそのままに、何かを振り切ったように平常心で悪野に向き直り、爽やかに笑いかける。  「いいんじゃないかな! ぴったんからのSEX! ビバ自由なSEX!」  悪野は顔をぐしゃぐしゃにして泣きはじめ、部下に向かって言い放った。  「うう裏切り者! お前ら全部裏切り者だ! 信じてたのにぃぃぃぃぃぃぃ!」  そして背後のカーテンの後ろにしゃがんで潜り込み号泣を始めた。  凪は手の関節を外してパパッと縄抜けをした。敵陣の中だが、ヘッドが機能不全になった以上、もう一度凪を取り押さえる者は現れなかった。  ちょうどいいタイミングで講堂にブルーフェニックスの仲間が突入してくる。  牧田も走って来る。  「凪、学生達は無事か」  「無事だ! 敵の頭は抑えた。雑魚に縄! 手錠!」  「わかった、任せろ!」  牧田がとあみ銃を発射。雑魚の動きを止める。  凪はさっき襲われかかった大美人の所に向かい、隊で支給される毛布をかけてやった。  「遅くなってごめんね?」  「ありがとう……」  悪野の部下たちは求心力を失い、揃って拘束された。人質は全員確保完了。  凪は塔吉郎と再会。  「凪、額の傷!」  「ああ、これか」  凪は自分の頭に手をやった。  「やられたのか」  「自分でやりました」  「またお前は、意地ばっかはって」  塔吉郎は部隊に指令を出し終えると、懐から携帯包帯を出して凪の頭をぐるっと縛った。図体が並外れてでかく、気の優しい力持ちの代名詞みたいな隊長である。  塔吉郎意向で凪のそばに仁が残った。黒髪黒瞳の凪と違って、仁は色素が薄く、子鹿色のふわふわした髪の持ち主。生え際だけピンクだが、本人は赤毛と言い張っている。絵画の中の若い聖職者のように透き通った肌も特徴。仁は尋ねてきた。  「お前、どうやったんだ」  「頭を説得した」  「どこだ」  「あそこ」  凪は講堂の窓際のカーテンを指差した。悪野は隠れるようにしゃがみ込んでいた。カーテンの後ろから片方の瞳孔の、きっかり半分だけを出して、助けを求めるように仁を見つめていた。  「お前変だよって言ったら泣いたんだ」  凪は悪野を指差し、口を尖らせた。保育士のおねーさんに園児が告げ口する時のノリで。“あいつがやりました”  おねーさんの役が回ってきた仁は、そうとは知らずに両手を腰に当てた。  凪に、一から勉強教えたのも仁なら、体術教えたのも仁である。強い人間ってそうそう怒らない。小型犬はキャンキャン吠えるが、大型犬は割りと静かなのと同じである。仁は悪野に向かって、子供にするような“めっ”の顔を作った。  「間違ってるって言われて泣くくらいなら、犯罪なんかするな!」  悪野は必死になって首を横に振っている。仁は悪野を促して立ち上がらせた。  「ほらもう泣くな。抵抗しないなら拘束しないから、一緒に警察行くぞ。泣くほどつらいなら、話を聞いてやるよ」  悪野はかすれた声で仁に答えた。  「おねーさんにからかわれた……」  「そうか。昔のトラウマか。でも女性に報復するのは筋違いだ。オレは仁だ。カウンセラーは男性がいいかもしれないな。手配しておくよ。なんならまず、オレに言ってみろ」 「仁」  悪野とその配下は警察に引き渡された。事態が収束した三日後のこと。非番していた仁が、どういうわけか、本部に呼び出された。  同日、夕焼けが眩しくなった頃、隊員寮の凪の部屋に、戻ってきた仁が訪ねて来る。見るとプリプリ怒っていた。  「お前、何やったんだよ」  「何もやってないよ?」  「悪野の奴、EDになって苦しんでるよ! いくら聞いても本当のこと言おうとしないんだけど、何か言いたそうで指名してくるのはオレなんだ。警察も根を上げて、ブルーフェニックスがオレに仕事を回してきたぞ」  仁は両手を腰に当ててお説教モード。  「お前なー、昔のトラウマで傷ついてる奴に手加減できなかったのかよ」  凪はびっくりした。  「あいつ、昔のトラウマあったのか?!」  「そうだよ!」  「知らなかったんだ!」  「知らないですむか!」  凪はこっぴどく叱られた。仕方無く口をとがらせる。  「だってああしないと、美女もオレもやられてたんだ。頭をたたくのが一番いいと思って」  「頭って一番傷ついてるんだよ!」  「そうだったのか?!」  仁は凪をしぼると『まったく』と言って自分の部屋に帰って行った。  ブルーフェニックスは悪野の様子を鑑みて、その後も仁に面接官の分担をあてがったらしい。仁は悪野を安心させてやる仕事に奔走することになった。  大学占拠事件収束から三週間経った。横須賀土砂災害の被害者救出作業が進むと、ブルーフェニックスの仕事は通常運行となる。その日の仕事を終えた凪は自室で窓の外の夜空を眺めていた。   凪が悪野に言った“SEXはもっちりから”というのはただの即興で、根も葉もない嘘だ。“ぴったん”は最初にやりたい奴はみんなやる。しかし、凪があの芝居を打たないと、縄抜けはできたかもしれないが、帝国壊滅はできなかっただろう。  仁にも怒られたが、手加減しなかった結果、悪野がEDになってしまったのは残念なことだ。凪は悪野のトラウマは何だろうと遠い朧月を眺め、少し同情した。
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