SIDE:セレン

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「ピアノが個性的で味があるし、歌もいいよね〜。雰囲気作るの上手いし。普段は中級のセッションに来てるのよ。自分がどんなレベルで演奏してるのか分かってないんだと思うのよね、あの子。何度かスカウトされてるところも見かけたけど、いつも断ってるみたい。理由は知らないんだけどね」  断るだろうな、とセレンは思った。  ステージに上がって演奏するいろ巴からは、絶対に売れたいという野心のようなものは感じられない。  むしろそれとは正反対の、音楽に対する純粋な気持ちだけが演奏に現れている。  その姿勢が、演奏に独特な爽やかさを生み出しているんだろう。  もしもメジャーデビューをすることになれば、この良さは死んでしまう。  テレビ業界は華やかに見えるけど、実際はコネクションと実力が物を言う過酷な業界だからだ。    音楽は、本人の性格や性質にかなり影響される。  いろ巴の演奏には、ヘドロのような世界でも生き抜いていける強かさは微塵もない。  心に何の混じり気もない反面、(けが)れを知らない危うさを感じる。  このままだとこの先、ずる賢いやつに何度も騙されて困り果てる姿が簡単に想像できた。    いろ巴は良くも悪くも、世間を知らないのかもしれない。  どうしてそんな小さな子どものような感覚のままでいられるのか、セレンには不思議で仕方がなかった。   「マスターも気に入ってるのよ」 「そうでしょうね」  ピンスポットライトの灯りがステージの中央に移る。  放射線状に広がる温かな光が円を描いて、いろ巴を鮮やかに照らし出した。  ピアノソロが始まる。  どことなく物悲しさが漂うメロディに合わせて、唇をきゅっと閉じる姿にはなぜか人間っぽさが感じられなかった。  艶々と輝く瞳は鍵盤をしっかりと見つめているし、次々とセンスのいい音を選ぶ指は今も止まることなく動き続けている。  それなのに、どうしてだろうか。  さっきまで隣ではしゃいでいたのが嘘みたいに落ち着いていて、同一人物とは到底思えなかった。
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