238人が本棚に入れています
本棚に追加
/114ページ
セレンは傘の手元をいろ巴に向けたものの、いろ巴は胸の前で両手を振った。
「だめだよ」
「何で?」
「セレンさん楽器背負ってるじゃん。わたしは濡れても拭いたらおしまいだけど、ベースはだめになっちゃうよ。気にしないでその傘使って。ボロいけどさ」
いろ巴の言った通り、受け取った傘は所々破けたり錆びついたりはしているけど、それはセレンにとってどうでもよかった。
「夜遅くに雨の中を一人で1時間も走るって……何考えてんだよ」
「もう。早くしないと電車なくなっちゃうよ。わたしは大丈夫だから」
「おまえ、誰にでもこうなの?」
いろ巴が不思議そうに眉を上げる。
意図せず嫉妬深い彼氏みたいなセリフを吐いてしまい、ばつが悪くなったセレンは目をそらした。
「おまえじゃないよ。わたし、いろ巴だよ。高園いろ巴! ちゃんと覚えてね。じゃあ」
「待てって」
懲りずに飛び出そうとするいろ巴の肩を、今度は優しく掴む。
「電車賃くらい出すから駅まで一緒に行こ」
「え、本当に? でも悪いよ」
「おれもこの傘借りるから、おあいこ」
「おあいこ……セレンさん面白いなあ。分かったよ、ありがとう。また次に会った時に返すね」
「いや」
それくらいやるよ、と言いかけてセレンは押し黙った。
いろ巴が下から顔を覗き込んでくる。
幼く見えていたはずの艶々とした瞳が雷光に照らされた途端、セレンの鼓動が跳ねた。
「セレンさん?」
「おれ達、次はいつ会えるか分かんないよ」
「次のセッションには絶対来るよ。そしたら会えるでしょ?」
「分かんない」
セッションには必ず来ているはずなのに、気が付けばそう答えていた。
いろ巴は何か考えているようだけど、またあの瞳に貫かれそうでそらした視線を戻すことができない。
最初のコメントを投稿しよう!