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背中から「セレンさんにあんな口調で話かけて大丈夫か」「やばいあの人、命知らずなの」とか口々に聞こえてくる。
セレンは音楽業界では一目置かれた存在だ。
それがなんだ。わたしは構わず目の前の男を睨みつけた。
「今日は家で寝てるんじゃなかったっけ? 来んなら教えろよ」
「さんっざん電話したのに出てよ! ゆっくりするつもりだったのに、セレンのせいで全然できなかったんだからね」
セレンはゆるいシルエットのカーゴパンツのポケットからスマホを取り出すと、めずらしく申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「おれのせいって?」
「そうだよ。さっきセレンと婚約したっていう女の人が家の前まで来たの!」
「は」
面食らったのか、セレンはぽかんとしている。
「やっぱり婚約なんかしてないよね? セレンから何も聞いてないもん。髪が長くて凄く綺麗な人だったよ。芸能人みたいだった」
「芸能人だよ」
「やっぱりそうかぁ。何で婚約したとか言い出したのかは知らないけど、さっきまで追いかけれられて大変だったんだから。この際だから言うけど、セレンって女の子の気持ちを蔑ろにし過ぎじゃない?」
セレンは黙ったまま、わたしがいるほうとは反対側にタバコの煙をふっと吐いた。
もくもくとした白い煙が、バーカウンターに立てかけてあったベースケースの上を流れていく。
セレンはプロのベーシストで、スタジオミュージシャンだ。
スタジオミュージシャンというのは、アーティストがリリースするCDのレコーディングやライブツアーに参加したり、テレビの音楽番組でサポート演奏も行う、リスナーにとって影のような存在だ。
たまにテレビに映ったりする程度で、普段はほとんど一般の人の目に触れることはない。
セレンは演奏技術がとても高く、音楽業界では誰もが知る存在で、第一線で活躍するアーティストが皆揃って自分の楽曲を弾いて欲しいと願い出るほど人気の若手ベーシストだ。
加えて、素人離れした容姿も人気に拍車をかけている。
ファッションモデルのように背が高く、上品な顔立ちと吸い込まれるような色香がテレビ画面に映ると、華があってバンドの格好がつくらしい。
モデルの仕事の依頼もあるみたいだけど本人は断り続けていて、容姿で世間からの人気を得るつもりはさらさらないらしかった。
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