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「ただいま」
重い瞼を開けると、濃いネイビーのスーツを着たセレンがわたしを覗き込むように見下ろしていた。
ここはどこだっただろうかと考えて首を左右に揺らす。
コニャックの革張りソファの背もたれと、テーブルの上に散らかった酒盛りの後が目に入って、わたしはしまったと心の中で舌打ちをした。
慣れないお酒を飲んですっかり気分がよくなり、いつの間にかソファで眠りこけていたらしい。
仰向けに寝転んだままスーツ姿のセレンを見上げ、自分はどんな格好をしていただろうかと胸元を触る。
この手触りからすると、つい最近買ったコスパブランドのグレーのスウェットだ。
毛玉のついたやつじゃなかった、とホッとする。
いやいや、酔っ払って食べ散らかしたままソファで爆睡する同居人なんか色々な意味で終わっている。
とりあえずここは先に謝るしかない。
「おかえりぃ、ごめんねぇ」
思うように舌が動かず呂律が回らない。
頭では分かっているのに、ちゃんと喋られないのが悔しくてもう一度口を開く。
「おかえりぃ、ごめんねぇ」
「分かった分かった。それはもう聞いたよ」
言い直しているだけだと言い返したかったけど、ご機嫌そうな優しい声を聞いてどうでもよくなった。
今はとにかく気分がいい。
セレンが緩やかに口角を上げる。
わたしもつられて頬が緩んだ。
「久しぶりだねぇ」
「今週はレコーディングの仕事が入ってたから。昨日で全部終わったよ」
「レコーディング……」
好きな人に会いに行っていたわけじゃなかったと知って、そっと吐息を漏らす。
セレンはソファの背に両肘をついて、顔を軽く傾けた。
「いろ巴は何してたの?」
「ん〜とねぇ、テレビ観てたぁ」
「何観てたの?」
「セレンだよぅ。ベース弾いてるとこ、めちゃくちゃかっこよかったぁ。そのスーツも似合ってるしぃ。セレンがモテるの分かったよぅ、わたしもぅ〜」
セレンは一瞬、目を丸くさせて小さな咳払いをした。
「……うん」
「そんなに嫌がんないでぇ。わたしだってたまにはセレンのこと褒めたいじゃん」
「そういうのはシラフの時に言えよ」
「え〜? 何ぃ?」
「何でもない。こんな時間まで飲んで身体いけんの?」
「セレンの方が毎日遅いよぅ」
「おれは慣れてるから大丈夫」
「たまにはぁ、ゆっくり休まないと」
「今日はゆっくり休むよ」
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