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「ちょっとやめてよ」
首の辺りをくすぐられて思わず顔を上げると、セレンの引き締まった肩が視界いっぱいに広がった。
すぐ目の前にあるなんて思わなかったから、鼓動が余計に跳ねてしまうのは仕方がない。
瞬きもせず、目に焼き付けるようにしてそこだけにゆっくりと視線を這わせる。
「もっとこっち」
大きな手が、わたしの両頬をタオル越しにぎゅっと押し潰す。
セレンにされるがまま見上げると、そこにはわたしの心を真っすぐ見つめる漆黒の瞳があった。
二人で見に行った、一面に広がる夜景を包み込んだ柔らかな夜空を思い出す。
地平線まで伸びた真っ黒な夜空がなければ、あの日の夜景の光はわたしの心を打つほど輝いていなかっただろう。
いつも誰かをそっと支えている、穏やかで静かな漆黒の瞳。
この瞳には今、わたしだけが映っている。
でもこの瞳が本当に映したい人は誰なんだろう。
知りたいようで知りたくない。
たまらなくなって、タオルに縋るように頬を擦りつけた。
タオルの向こう側にあるセレンの手に、酷い顔を隠して欲しかったからだ。
いつもこうしてセレンに頼って来たし、これからもそうなんだろうと思っていた。
なんて自分勝手で、いい加減な脆い理想だったんだろうと今になって気付く。
もしかすると、わたしはセレンに初めて出会った時から惹かれていたのかもしれない。
芽生えた思いを早々に摘み取って、誰よりも一番近くにいようとしていたのかもしれない。
〈友達〉という、ずるい皮を被って。
「いろ巴、いいの?」
「何が?」
「いいって言って」
「だから何が? 何のことか分かんないよ」
「おれ、前に忠告はしたからな」
セレンはタオル越しに、親指でゆっくりとわたしの唇をなぞった。
伏せた長いまつ毛の向こうから、熱を持った視線を一点に注がれて自然と頬が火照っていく。
「セレン」とたどたどしく名前を呼ぶと、滑らかな湿り気を帯びた瞳が真っすぐにわたしを捉えた。
張り付くような視線が、わたしの瞳と唇の間を往復する。
それから最後にまたじっくりと瞳を見つめられ、わたしのすべてをセレンに委ねたくなるような気分になった。
ドキリ、と胸から嫌な音がする。
けれど身動きができなくなったわたしは、その場から一歩も離れられなかった。
「今度はちゃんと、おれの気持ち伝わってる?」
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