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大ヶ谷瞬と大きく表示された文字に、「え」と小さな声が漏れる。
2日前、セレンの家にいた時に大ヶ谷さんからセッションに誘われて断ったばかりだ。
今日は何の用事だろうと頭にクエスチョンマークを浮かべながら緑の応答ボタンをタップする。
『あ、いろ巴ちゃん。急に電話してごめんね、びっくりしちゃった?』
スピーカーから聞こえてくる朗らかな声から、大ヶ谷さんが電話の向こうで明るい表情をしているのが分かった。
この間のセッションで感じた大ヶ谷さんの優しそうな雰囲気を思い出して、少しだけ緊張が解れる。
「いえ、お電話ありがとうございます。セッションに誘ってもらったのに断ってしまってすみません」
『そんなの気にしないでよ、また行こう。それよりさ、僕の知り合いにいろ巴ちゃんのことを知ってる人がいて。その人が今度、子ども向けの音楽会を開くみたいなんだけど、いろ巴ちゃんにもぜひ出演して欲しいって言っててさ。どうかな、興味ある?』
仕事の話だ。
いつもなら二つ返事で引き受けているような案件だけど、今はそんな気になれなかった。
「ちょっと考えてもいいですか? 日にちはいつ頃なのか決まっていたら教えていただけるとありがたいんですが」
『その辺の詳しい話は一緒に飲みながらしない?』
「飲みながらですか?」
『うん、だめかな?』
「そうですね……すみません。まだ出演できるか分からないので」
『発表会はそんなおカタイ感じじゃないよ。気軽に考えてくれて大丈夫だから。その人も音楽業界でがっつり活躍してる人だから、いろ巴ちゃんにとっていいコネクションになると思うよ』
「でも」
『実は、その人も今日予定が空いてるみたいだから三人で飲めたらいいなって思ってさ』
「今日ですか……」
わたしはおでこの辺りに靄がかかっていくのを感じながら、地面に頼りなく伸ばした足を見つめた。
きっとここにセレンがいたら、また「あいつのところには行かないで」と引き止めてくれていただろう。
でもここにはセレンはいない。
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