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「あれ? セレン、譜面は?」
「数が足りなかったみたいだから返した」
「ないの? 大丈夫?」
「大丈夫、いらない」
セレンは全部覚えているらしい。
譜面にかぶりついて確認していたわたしとは大違いだ。
セレンとは大学2年生の時にこのライブハウスで知り合った。
怖いもの見たさで初めて覗いた上級者向けのセッションで、同い年のセレンは慣れた様子で高度な演奏を披露していた。
その頃にはもうプロとして活動していて、音楽業界では注目されていたらしい。
次々と繰り広げられる巧みな演奏に、新たな世界を垣間見た気がしてステージに釘付けになった。
その日、セレンは演奏が終わってからずっと一人でいた。
当時は今よりもとっつきにくい雰囲気があったし、話しかけても刺々しい言葉が返ってくるか、適当にあしらわれるかのどちらかで周りには誰もいなかった。
それでも演奏への熱い感想を伝えたくて思い切って話しかけてみたら、前評判とは違い拍子抜けするほど普通に返事が返ってきた。
セレンはどこにでもいる、ベースが好きな20歳過ぎの男の子だった。
音楽の趣味が似ていたのもあり、わたし達はその場ですぐに仲良くなって今に至る。
「そろそろ準備はいいですか?」
司会者の声に、ステージの上にいるわたし以外のミュージシャン全員が頷いた。
それまで気が付かなかったけど、よく見たらわたし以外の演奏メンバーはスタジオミュージシャンとして活躍している人達ばかりだ。
街中のレストランや子どもの前で演奏しているわたしとは、経験も実力も雲泥の差だろう。
その中でも飛び抜けた才能のあるセレンが、それを鼻にかけた態度をとるところは一度も見たことがない。
人一倍、影で努力しているのも知っている。
そんなセレンと同じステージに立てることはとても嬉しかった。
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