別れたい女たち 〜恋は愚か愛は憎しみと紙一重〜

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直哉の頭には夕実のためにわざわざ婚約指輪を用意するなんて思考はなく、どうせ偽装で結婚するのだと腹に決めて、いざという時には母親が持っている古いデザインの婚約指輪を渡そうと前々から決めていた。 箱を開けて見せれば、夕実は目を細めた。 「嬉しい。指輪、つけてくれない?」 唐沢直哉は、息を呑んだ。 杉田夕実との生活を想像する。家でも会社でも24時間、ずっと一緒に過ごすことになる。息が詰まる。 料理は美味しい、部屋もきれいに片付けてくれるだろう。だが、毎日隣に寝ることになる。息が詰まる。 7ヶ月後、子どもが産まれる。 周りからは、幸せな家族に見えるだろう。たが、そこには愛はない。ただの義務だ。 息が詰まる。 「入るといいんだけど……。」 直哉は、指輪を手に取った。夕実の左手を持って薬指に指輪を通す。指輪は、すんなり薬指にハマった。まるであつらえたようにサイズがぴったりだった。 「綺麗ね。」 指輪を見つめる夕実を見ているだけで寒気がする。 直哉はこれから、目の前の義務でそばにいるだけの女……夕実を借金地獄に突き落とすのだ。 少しだけ残っている良心が痛む。 母親の指輪を、母親の知らない女がはめていることも充分罪に思えた。 「私たち、幸せな家族になりましょうね。」 「……そうだね。」 指輪は煤けている。ダイヤモンドにもリングにも輝きはない。これからの結婚生活にも輝きはない。少なくとも直哉には。 「お父様はお母様を愛していた。」 「…え。」 直哉からこの指が母親のものだとは夕実に教えていない。 「プロポーズした時は少なくともそうだったと信じたいわね。」 「……俺は夕実を愛してるよ。」 「私も直哉を愛してる。」 直哉の口から生ぬるい吐息が漏れた。 『愛してる』なんて都合のいい言葉だと思って使っていただけなのに。 今は、はっきりと嘘をまとって自分の耳に跳ね返ってくる。 ーー父も、母に自分のように嘘偽りで作り込まれた“愛している”をたびたび母に投げつけていたのだろうか。 母は、それを受け止め何を思っていたのだろう。あるいは受け止めてなどいなかったのかもしれない。
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