醜いメアリー

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 皆、私を見ると目を見開いて、何も言わずに立ちすくむ。  私はたまらず、いつも逃げ出す。 「メアリー、皆ひどいわね。あなたが醜いからって、あんな顔をするなんて」  いつも優しい言葉をかけてくれるのは、ニーナお姉さまだけ。 「お姉さま……」 「今日は良いものをもってきてあげたの」  ニーナお姉さまは分厚い眼鏡を私にくれた。 「これをかければ、その大きすぎる目も隠せるわ」 「ありがとう、お姉さま」  私はそれ以来、いつも眼鏡をかけて、前髪で顔を隠した。 *** 「ニーナ、今日は何をして過ごしたんだ?」  お父様がお姉さまに話しかける。 「家庭教師と勉強をした後、サマンサの家のお茶会に呼ばれました」 「そうか。メアリーは何をしていた?」 「……私は……」  めずらしく、夕食には家族全員が揃っていた。いつも、お父様もお母さまも仕事が忙しくて、朝食も夕食もニーナお姉さまと私の二人で食べているのだけれど。 「……図書館で本を読んでいました」  私が答えると、お父様はしかめ面をして鹿肉のローストを口に運んだ。 「またか。友人くらい作れないのか? メアリーは」  お父様のため息を聞いてニーナお姉さまが言った。 「メアリーは他人が苦手ですから、無理をしてもしかたないのではないでしょうか?」  私はニーナお姉さまの優しい言葉を聞いているだけで、何も言えなかった。 「そうは言っても、いつまでも一人でいるわけにもいかないだろう。それに一人ではつまらないだろう?」 「いいえ、お父様。私は一人で本を読んでいるのが好きなんです」 「注目を浴びることも避けられるしね」  ニーナお姉さまが笑顔で言った。私も同意をしめすように少しだけ微笑んだ。 「注目されるのも仕方がないわね、メアリーは可愛いから」  お母様の嫌味はいつものこと。私は背中を丸め、唇をかみしめて、じっと自分の手を見つめた。  ***  午前中、家庭教師との勉強が終わると私とニーナお姉さまは昼食をとる。 昼食後、ニーナお姉さまは友人のところへ出かけていく。私は一人でお城の図書館に向かう。 この国ではお城の一部が貴族にも解放されていて城内の図書館へも自由に出入りできるから、私は暇があれば図書館にこもって本を読んでいる。 図書館の中は静かで、皆、本に集中しているから、醜い私を気にかける人もほとんどいない。人目を気にしなくていいのは気が楽だ。    私は図書館の中でも、光が届きにくい隅っこの忘れられたような席が気に入っている。  いつものようにそこに座って本を読んでいると、人影が近づいてきた。 「すまない、少し知り合いのふりをしてくれないか?」 「え?」  私が青年に返事をするより先に、若い女性の集団がきょろきょろと周りを見ながら近づいてきた。 「トーマス様? どこにいらっしゃるの?」    女性たちが私に話しかけてきた青年に声をかけた。 「トーマス様、そこにいらしたのですか? あら、そちらの方は?」  値踏みするような視線を感じ、私はもともとの猫背をいっそう丸くして押し黙った。 「大事な友人と調べ物をしているんだ。悪いけれど、いそがしい。話なら、また別の日にしてくれないか?」 「……分かりました」  女性たちが去り際に、私のことをちらりと見た。その目の鋭さに、私は身を震わせた。 「……助かった。迷惑をかけて申し訳ない」  トーマス、と呼ばれていた青年の顔は逆光で良く見えなかった。 「いえ、お役に立てたのなら良かったです」 「まったく、女性と言うのは賑やかすぎて困る……。あ、君のことではない。すまない」 「いいえ、お気になさらないでください」    私はうつむいたまま本の表紙を撫でた。 「随分難しい本を読んでいるのだな。それは、この国の政治と歴史について書かれた本だろう? なかなか興味深い本だ」 「……あなたもこの本を読まれたのですか?」  好まれることがあまりないと思われる本だったので私は驚いた。 「ああ。この本が好きなら……こちらの本も楽しめるかと思うが」  差し出された本は、おととい読んだ本だった。 「確かに面白い本でした」 「ああ、もう読まれていたか。失礼した。……よかったら、君のおすすめの本を教えてもらえるか?」  楽し気な声を聞いて、私も心が弾んだ。 「私の好みですが……『神話に隠された歴史』という本がおもしろかったです」 「そうか。それは面白そうだ。探してみよう」  青年は立ち上がると、かるくお辞儀をして私に背を向けた。  去り際に振り返り、彼は私に言った。 「名乗り遅れて申し訳ない。私の名はトーマスと言う。君の名をたずねても良いだろうか?」 「……メアリーです」 「また会おう、メアリー嬢」  トーマス様は颯爽と去って行った。 「トーマス様……変わった方」  トーマス様も私には言われたくないだろうと思い至り、私は一人で苦笑した。 *** 「やあ、また会えたな、メアリー嬢」 「トーマス様」  トーマス様はつばの広い帽子をかぶって顔を隠している。自分の顔を見られるのが嫌な様子に、私はなんとなく親近感を覚えた。 「今日は何の本を読んでいる?」 「占星術の本です」 「趣味が広いのだな」  トーマス様は私のそばの席に座り、何かの本を読み始めた。 「トーマス様は何の本を読んでいらっしゃるのですか?」 「商業に関する本だ」 「トーマス様も、いろいろな本をお読みになるんですね」  私たちは時々思い出したように言葉を交わしたが、大体は本に集中していて無言だった。  図書館でトーマス様と会うことを繰り返すうちに、心地よい沈黙を楽しんでいるのは私だけではないのではないかと、ふと思う瞬間が増えていった。 「それでは、また会おう」 「はい」  別れ際の挨拶はいつもトーマス様の「また会おう」から始まった。約束しているわけではないけれど、図書館で本を読んでいるとトーマス様と会うことが普通のことになっていった。  いつも、難しそうな本を読んでいるトーマス様。その本の種類は多種多様で、興味の広さを物語っている。 私は神話や伝説の本も好きだけれど、トーマス様は商業や町の成り立ちや教会の仕組みなどの実学に関する本の方を好んでいるようだ。 時々、帽子の影から視線を感じて顔を上げると、トーマス様の口元が微笑んでいるように見えることがある。そんなわけないのに。 でも、そんなときは私も微笑んでしまう。醜い顔を俯けたままで。 ***  夕食の時間になっても、ニーナお姉さまは帰ってこなかった。夕食を終え談話室で休憩していると、ニーナお姉さまがやっと帰ってきたらしい。舞踏会に付き添っていた侍女を下がらせて、お姉さまは言った。 「メアリー、今日の舞踏会で素敵な方に出会ったの! トーマス様と言ってとても麗しい子爵様よ! あんなに美しい方がいらっしゃるだなんて! 皆、トーマス様を取り囲んで大騒ぎしていたわ」  興奮しているニーナお姉さまに私は尋ねた。 「ニーナお姉さまも美しいわ。きっと、そのトーマス様とお似合いでしょうね」  同じトーマスと言っても色々な人がいるのだな、と私は思った。 「そうかしら?」  ニーナお姉さまの切れ長な目は鋭く輝き、まんざらでもないというようにお姉さまの顔がほころんだ。  私はつぶやいた。 「私には、美しい方は遠くから見るのが精いっぱいですわ。だって……」 「メアリー、醜いからって卑屈になってはダメよ」  ニーナお姉さまは薄く紅を塗った唇を尖らせて、私に注意をした。 「……お姉さま。……ええ、そうですね」  私が微笑み返すと、ニーナお姉さまは「たくさん踊ったから、おなかがすいたわ」と言って夕食を食べに食堂へ行ってしまった。    一人になった私は、ふう、とため息をついた。  図書館のトーマス様は、私の醜さに気づいていないのかしら? とふと不安になった。  でも、彼はいつも変わらない明るい口調で色々な本の話をしてくれる。  薄暗い図書館の奥で交わされる会話の楽しさに気を取られ、私は自分の醜さを忘れかけていた。  トーマス様も人目を避けていらっしゃるし、似た者同士……だと思っていていいのかしら。  物思いにふけっていた私は、ニーナお姉さまが呼ぶ声でハッとした。 「メアリー、今日の素敵な出来事について話したいことがたくさんあるの。聞いてくれるかしら?」 「ええ。もちろんです。ニーナお姉さま」  私はトーマス様のことを考えるのをやめて、ニーナお姉さまのいる食堂に向かった。  *** 「トーマス様と踊りたい令嬢が列を作っていたわ。私も踊ることが出来たけれど一回だけ。もっと一緒に踊りたかったわ」 「そうですか。トーマス様は人気者なんですね」 「ええ、優しくて優雅で上品で。あのブルーサファイアの瞳で見つめられるともう何も考えられなくなるわ」  うっとりとした表情でニーナお姉さまは言った。  私が頷いていると、ふと、思い出したようにニーナお姉さまが私に話しかけた。 「メアリー、明日も暇よね? お茶会にあなたもいらっしゃい。トーマス様が私の妹に会ってみたいと言われて、それならお茶会を開きましょうとサマンサが言ったの」 「え? ニーナお姉さま、私……人前に出るのは……」 「わかっているわ。でも、トーマス様がお会いしてみたいと言ってくださったのよ? 断れるわけがないでしょう?」 「……わかりました」  私は心臓をぎゅっとしめつけられるような思いでやっと頷いた。  醜い私を見て、皆は嫌な顔をするだろうか。それとも嘲笑の的になるのだろうか。  ニーナお姉さまの言うトーマス様も、怖いもの見たさで私に会ってみたいだなんて言ったのだろうか。だとしたら、随分残酷な方だ。    私は静かに息を吐いてから立ち上がった。 「もう、遅いので先に部屋に戻ります。おやすみなさい、ニーナお姉さま」 「おやすみ、メアリー」  私は重い足取りで自室に向かった。  *** 「眩しい……」  窓から入る朝の光が、部屋を明るく照らしている。 「……良い天気」    雨ならお茶会が延期されるかもしれないと淡い期待を持っていたけれど、空は雲一つなく青く澄んでいる。  ドアがノックされ、メイドが朝の紅茶を運んできた。 「おはようございます、メアリーお嬢様」 「おはようございます」  私はあわててメガネをかけ、前髪で顔を隠した。 「お嬢様、今日の午後はニーナ様とお茶会に行かれると伺っております。昼食が終わりましたら、外出の準備をいたします。よろしいでしょうか?」 「ええ、お願いします……」  私は沈む心を抱えたまま、静かに頷いた。  *** 「メアリー、お茶会では余計なことは言わなくて良いからね。あなたはただ座っていればいいわ」 「はい、ニーナお姉さま」  私は昼食を少し口にしたが、食が進まない。ニーナお姉さまの友達と言っても、お話で聞いたことはあるけれど、実際どんな方かは分からない。姉の友人なら、悪い人ではないと思うけれど……私の醜さに驚いてしまうかもしれない。  昼食を終えると、お茶会に来ていくドレスをニーナお姉さまが選んでくれた。私は帽子でメガネをかけた目元を隠し、前髪を垂らして顔が隠れるようにした。 「その猫背は直せないのかしら?」  ニーナお姉さまがため息交じりに言った。 「あの、どうしても人前に出ると思うと……緊張してしまって」 「だれもあなたに深い興味なんてもたないから大丈夫よ。心配しないで」  ニーナお姉さまは微笑んで私に言った。その励ましの言葉を聞き、私はいっそう背中を丸めてしまった。  侍女を連れて、ニーナお姉さまと二頭立ての馬車でサマンサ様のお屋敷に向かった。  窓から見える景色は私の思いを汲むことはなく、思った以上の速さで流れていく。  馭者が馬車の速度を緩め、邸宅の入り口で門が開くのを待つ。  建物の入り口に案内され、馬車が止まった。ニーナお姉さまが私に言う。 「着きましたわ」 「はい」  私は重い足取りでニーナお姉さまの後に続いて馬車を降りた。 「皆さまがお待ちです」  サマンサ様の家の執事がニーナお姉さまと私を中庭に案内した。  侍女は馬車のそばに控えている。  私はニーナお姉さまの後に続き、お茶会の会場へと重い足を進めていった。 「お招きくださってありがとうございます」 「ありがとうございます」  ニーナお姉さまと私は片足を引き、もう片足を曲げ、お辞儀をした。   「来てくださって嬉しいわ。おまちしておりましたわ、ニーナ様。はじめまして、メアリー様」  サマンサ様は明るい茶色の目を輝かせて私のことを見つめている。奥に立っているのはトーマス様だろうか。初めて会うのだけれども、どこか見覚えがある気がする。 「やはり、メアリー嬢だったのか」  よく聞いた声に思わず顔を上げる。目の前にいる麗しい青年の声は、図書館でいつも話しているあの声と同じだ。 「……トーマス……様……!?」  ニーナお姉さまの言っていたトーマス様と、私の会っていたトーマス様が同じ人物だったなんて!  トーマス様は顔を隠していたけれど、私のように醜いわけでは無かったのだ……。むしろ彫刻のように整った美しい顔をしている。愕然として立ち尽くしていると、ニーナお姉さまが私の手を軽く引っ張った。 「トーマス様が美しいからって、見とれすぎですよ、メアリー」 「あ、あの、申し訳ございません!」  私は深々と頭を下げるとそのまま後ろに下がっていった。 「危ない!」 「きゃあっ」  私は石段を踏み外し、しりもちをついてしまった。  はずみでメガネが落ちる。  慌てて私は両手で顔を覆った。 「大丈夫か? メアリー嬢」  トーマス様が手を差し伸べてくれた。私は仕方なく片手を顔から外しトーマス様の差し出した手につかまって立ち上がった。  あらわになった顔に、皆の視線が集まっている。息をのむのがわかる。ああ、私の醜い顔をこんな風にさらしてしまうなんて……。 「メアリー様、とても可愛らしいのに何故顔を隠していらっしゃったの?」 「え?」  サマンサ様が私の目を見つめて微笑んでいる。   なんて意地悪な方。  醜い私になんて嫌味を……。 「メアリー嬢、メガネが壊れてしまったようだ。見えない目で困らないか? かわりのメガネは持っているか?」  トーマス様が心配そうに私に尋ねる。 「あの、メガネは……醜い顔を隠すために……かけていただけですから……大丈夫です。皆さまは私の顔を直接見ることになって不快かもしれませんが……」  みじめで顔が赤くなっていくのが分かる。私はうつむいたまま涙をこらえた。 「何を言ってらっしゃるの? メアリー様は絵画の天使のように愛らしく美しいお顔でいらっしゃるのに?」 「でも、大きすぎて気持ちの悪い目をしているし……くちびるだって赤すぎて……」 「だれがそんなことを?」  トーマス様が憮然とした表情で、私に尋ねた。  私は言葉にできず、ニーナお姉さまに目で助けを求めた。 「……調子に乗っていたメアリーが悪いのです。私は悪くないわ」 「ニーナお姉さま?」 「貴方の醜さは……顔ではなく、心なのよ!」 「……醜いのは君の方だ」  トーマス様の悲し気な低い声が、中庭に響いた。  ニーナは顔面蒼白になり「失礼、気分がすぐれません」と言い残すと馬車に向かって早足で歩き出した。 「あの、失礼いたします。今日はお招き有難うございました」  私は慌ててニーナお姉さまの後を追った。  馬車の中に入ると、ニーナお姉さまは一人で泣いていた。 「わかっていたわ!! いつかこんな日が来るって!!」 「ニーナお姉さま……?」 「貴方は……なにもかも私から取り上げてしまう……!!」  泣き続けるニーナお姉さまに何も言えないまま、馬車は家に向かって走り出した。  *** 「悪かったなんて、言わないから」 「ニーナお姉さま?」 「貴方が生まれるまで、私は家のお姫様だった」 「……」 「それがどう!? あなたが生まれたら、お父様もお母さまも、貴方に夢中になった」 「え?」 「天使が生まれた、こんなに愛らしい子はいない、この子は天からの恵みだって……お父様もお母さまも、私のことには見向きもしなくなった」 「ニーナお姉さま……」 「だから、私はあなたが……醜ければよかったと思った。あなたに自分が醜いと信じさせれば……あなたは人から離れると思った。お父様もお母さまも……私のところへ帰ってきてくれるって……」  ニーナお姉さまの優しさは嘘だったの? と私は叫びたい衝動に襲われたけれどショックのあまり声が出なかった。 「でも、お姉さまはいつも優しかった……でしょう?」 「あなたが私を信じるように、優しく振舞っただけよ」  私は目の前が暗くなったような気がした。 「美しいメアリー、さぞ嬉しいでしょうね」  ゆがんだニーナお姉さまの顔は、涙にぬれている。  私の目からも、涙がとめどなくあふれていた。  ***  一週間ほど、私は自分の部屋にこもった。さすがに両親も心配して、医者を呼ぼうか、と聞いてくれたが少し頭痛がするだけで大丈夫だと言ってやりすごした。  信じていたニーナお姉さまの気持ちを知った今、私は何をする気にもなれなかった。  ぼんやりと天井を眺めていたら、ドアがノックされた。 「メアリーお嬢様、お手紙が届いています」 「……ありがとう」  私はメイドから手紙を受け取ると、それをじっと見た。 「私に手紙なんて……初めてだわ」  差出人を見て、私の心臓がどきりと脈を打った。 「トーマス様から?」  私は痛いくらいの鼓動を感じながら、手紙の封を開けた。 <メアリー嬢、あれからお会いできずにいるが元気だろうか。ニーナ様とメアリー嬢の間の詳しい話はわからないが、力になれることがあれば声をかけてくれ。また、君と本の話がしたい。トーマス>  私は何度も手紙を読み返した後、綺麗に便箋をもとの形にたたみなおし封筒に収めてお気に入りの詩集に挟んだ。  私がニーナお姉さまから両親の愛情を奪ってしまったから……ニーナお姉さまは思い詰めてしまったのかしら……。  とはいっても、両親は仕事に忙しく、私だって両親の愛情を感じたことはあまり記憶にない。いつもそばにいてくれたのはニーナお姉さまだった。  ……仲直りできるかしら?  私は一週間ぶりに食堂に向かった。 「お久しぶりね、メアリー」 「ニーナお姉さま……」 「トーマス様と知り合いだったのね」 「私、知らなくて……」 「……信じないわ」  静まり返った食堂に、食器の当たる音やスープを飲む音だけが響いている。 「お父様とお母さまには、いつ言うの?」  ニーナお姉さまの紅茶を持つ手が震えている。 「何も……言うつもりはありません」 「……そう」  ニーナお姉さまは食事を終えると静かに食堂を出て行った。  私はゆっくりと食事をすませてから、部屋に戻った。  しばらくぼんやりしていたけれど、退屈に飽き飽きして、私はメガネをかけずに前髪で顔を隠して、図書館に向かった。 ***  図書館に着くと、いつもの場所で本を読み始めた。でも、文字を目で追ってみても頭の中に入らない。ため息をついて次の本を取りに行こうとすると、いつの間にかそばにいた青年が私に手を振った。 「……トーマス様」 「メアリー嬢、久しぶりだな。今日は何の本を読んでいる?」 「トーマス様、もう私にかまわないで下さい」 「急にどうした?」 「ニーナお姉さまを傷つけたくありません」  ニーナお姉さまはトーマス様が好きだと言っていた。もう、ニーナお姉さまの大事な人と関わるのはやめなければいけない。 「僕が気に入っているのはニーナ様ではない。君だ。僕が誰と付き合うかを決めるのは君じゃない。僕だ」  トーマス様の真剣な目に、心臓が射抜かれたように感じた。 「トーマス様のように美しい方が、私のような醜い人間と関わるのは……」  トーマス様はむっとした表情で静かに、でも頑なな声色で私に言った。 「君は醜くない。本が好きで思慮深くて面白い人だ。見た目にこだわる、くだらなさは君も良く知っているだろう? 僕だって、見た目だけで寄ってくる女性たちにはうんざりしているところだ」  トーマス様は私の前髪をやさしくかきあげた。優しい光を宿したブルーサファイアの瞳が私の目を見つめている。 「素敵な人に出会えたと、嬉しく思っていたのは僕だけか? たのしい時間を持てたと思ったのも、僕の独りよがりか?」  青い瞳が憂いの影を帯びた。 「いいえ。私も……同じ気持ちです」  私は顔をあげたまま、トーマス様を見つめ返した。背筋を伸ばして立ち上がると、トーマス様は私の手を取り、指先に口づけをした。 「素敵なメアリー。これからも仲良くしてくれ」 「こちらこそ、よろしくお願いします」  トーマス様の瞳が楽しそうにきらめいた。  開かれた窓から小鳥の声が聞こえてくる。  私たちは、手を取り合って図書館を後にした。
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