哲学者の日常 エッセイ

1/3
前へ
/3ページ
次へ
 ただ、わたしたちは何かを求めて生きている。それは生きがい、だったりするのだ。  無意味な世界には、ある意味で生きていけない。それは実在が宙づりになるからだ。こうして、わたしたちは意味を欲して生きるのだ。  けれど、どれだけ時間が経っても、何もできない、という時期もある。しかし、ありとあらゆるものは、わたしたちに認識を促すし、それでいて、わたしたちは何事かを認識している。  どれだけ偉大な作家も、人生の悩みを馴致できたわけではない。まるで苦悩を養分として生きている人もいる。それはある種の才能であるし、わたしたちはそこから脱却しないといけないだろう。  こうして、わたしたちの日常は構成され、次々と起こる出来事に対して、構えが必要かもしれない。人生のターニングポイントというのはどこにもあるし、行動がないと、わたしたちは何事も為すことが出来ない。それでいて、不平不満を垂らしたところで、実質的なものは何も獲得できない。  まず行為ありき、そして、そこから何かが生れるのだ。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加