哲学者の日常 エッセイ

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 何が、わたしにとって必要か、もう必要なものはないのではないか。そこまで、至っている。わたしは満ち足りている。  知的快楽というのも、好みだ。そして、知的な発見は、またバージョンアップされるし、人はそういうものに弱い。しかし、いまだに解明できないものはたくさんある。  常に進化しなければならない、というのはおかしい話だ。年を取ると、停滞期もある。当たり前だ。日常を淡々と生きるしかない。労働者も非労働者も、日常を生きているのだ。  わたしは物書きだ。文章を書き、人に伝える。お金にはあまりならない。それでもわたしのライフワークとして、好きなルーティーンだ。  これも、日常化すれば、当たり前になるし、最初から、こんなことが出来たわけではない。勉強の蓄積があるからこそ、こういったことが出来る。アウトプットは大事だ。そして、進化については、停滞もあることを言いたい。
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