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1.
湿った空気が校内のあちこちに流れていて、梅雨だという季節を嫌でも感じさせられる。実際に傘を差さないとずぶ濡れになってしまうほど雨が降っている。
帰る生徒が少なくなった頃合いを見計らって、僕は下駄箱へ下りた。本当に誰もいなくて、今この世界には自分ひとりだけなんじゃないかと、勘違いしそうになる。
……高校二年生にもなってなに考えてんだか。
雨の音が強くなった。地面に叩きつけられるように降る雨は、水たまりで跳ね返ってまた落ちる。
雨が降ると、決まって思い出すことがある。あれは中学三年生の今くらいの時期だった。僕は受験生で、夜まで塾だった僕を待っている人がいた。
『お兄ちゃん!』
当時小学五年生の妹だった。彼女は雨が降ると傘を持って母親と一緒に僕を待っていた。
正直鬱陶しいな、と思うこともあった。周りは努力した分だけ成績が上がっていくのに、僕は思うように成績は上がらないし、志望校のランクを下げた方がいいとまで言われていた。そんなときに妹と母親のお迎えだ。ほっといて欲しかった。
そんな胸中を知らない妹はいつも笑顔で『はいこれ!』と言って、僕に傘を差し出した。自分の差している傘ではなく、手に持った傘だった。なぜか妹はひとり一本にこだわった。さらにもうひとつこだわっていることがあった。
小学五年生の女子なら大抵はピンクの傘とか、なにかしら色の付いた傘を好むと思うのだが、妹はなぜか透明の傘——つまりはコンビニで売っているような味気のないビニール傘を家族みんなに強要した。
どうして透明のビニール傘だったのか、僕にはいまだにわからない。
雨の勢いはおさまる気配がない。
傘立てから、家から持ってきた傘を掴んで開く。開いて、その光景に僕は固まってしまった。
「なに、これ……」
一度傘の表面を確認した。うん、間違いなく家から持ってきた水色の傘だ。もう一度傘の内側を見てみる。真ん中から露先に向かって赤、橙、黄、緑、青、藍、紫青の太い色が等間隔に描かれていた。七色——いわゆる虹の色だった。傘の内側には、虹が架かっていたのだ。
今まで何度もこの傘を使っていたが、内側がこんなにカラフルであったことはない。傘立てを見るも、明らかに壊れている傘が三本ほどバラバラに差さっているだけで、まともな傘はこれしかない。そもそもこの傘は僕のなのだ。柄の部分に『西城』とテプラを貼ったのだから。
気味が悪かったが、差さずに帰るわけにはいかない。視線を上から下に戻せば、雨が地面を打っている。
「仕方ない。これで帰るか……」
僕は内側がカラフルな傘を差して、雨に打たれる地面を見ながら帰路に着いた。
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