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翌日は昨日よりも雨の勢いはなかった。昨日がザーザー降りなら今日はサーサー降りで、でも雨が降っていることには変わりない。
僕は今日もあの傘を持ってきていた。登校するときも傘の内側には虹が架かっていて、それをたっぷり三十秒眺めてから、登校した。
気持ち悪いけど、傘なんてなんでもいいと思っていた。雨から身を守ってくれるなら『傘』という名の無機物だったら透明だろうがカラフルだろうが、なんでもよかった。
今日もみんなが帰った頃を見計らって下駄箱に下りる。もちろん、誰もいなかった。
下駄箱から外に出るガラスドアの向こう側に目をやると、どんよりと曇っていて細い雨が降っている。
さてと。帰るか。
バサッと傘を開いて頭上にかざしたところで、今日の朝は感じなかった違和感があった。しばらく傘の内側を見上げて、違和感の正体に気づく。
色が薄くなっていた。今日の朝までビビットカラーだった虹が、パステルカラーになっている。
「なんだこの傘」
思わず呟いてしまった。まぁ、誰もいないからいいか……
「あれ。いつも下向いてる西城くんが珍しく上を向いてる」
後ろから声がして振り向くと、そこには髪の毛を高い位置でふたつくくりにした、知らない女子生徒がいた。足音がなかったので、気づかなかった。
「えっと……誰、ですか?」
先輩か後輩か判別がつかなかったので、一応敬語で尋ねてみる。彼女はにっこりと笑った。
「西城くんの後悔、かな」
その笑顔に、小学五年生だった妹の顔が重なってドキリとする。
その妹は僕の後悔そのものだった。そうか、彼女は妹なのか。
妹と思われる女子生徒は、僕が差した傘の内側を覗き込んできた。
「おお、珍しい傘を差してるね。西城くんの趣味?」
「いや……昨日はもっと濃い虹色だったんだけど、今日はちょっと薄くなってるんだ」
「え、怪談話? 確かにちょっと暑いけど、まだ梅雨明けてないよ?」
「怖がらせようと思って言ったんじゃないよ。本当に薄くなってるんだ」
僕は少しだけ薄くなった傘の内側を見ながら、傘を左回転させた。露先にたまった水滴の玉が、ピュンと遠心力で飛ばされる。
「ちょっと西城くん。傘振り回すのやめてよ。顔にかかったよ?」
「あ……ごめん」
思わず下を向くと、彼女は僕の顔を覗き込んで「冗談」と笑った。
その笑顔はやっぱり妹に似ていて。
いつかの記憶が呼び起された。
『もうお兄ちゃん! 傘振り回すのやめてよ! 顔にかかるじゃん』
『悪い悪い。傘ってどうしても回したくなるんだよな』
『中学二年生にもなって子どもみたい』
『はいはい。小学四年生の妹に迎えに来てもらう中学二年生の僕は、まだまだ子どもですよ』
『すぐすねるところも子どもみたい』
ムカついて傘を強く振り回したら、妹は『お兄ちゃんのバカ』と言いながらも笑っていた。
妹との思い出はいつの日だって雨が降っていて、それなのになにがそんなに楽しいのか、いつも笑顔だった。
「西城くん? 大丈夫?」
「え、あ、うん。ごめん、大丈夫」
「別にいいけど、なんの『ごめん』?」
彼女は自分が持っていた傘をパン、と広げる。透明の、ビニール傘だった。
「じゃあね、西城くん。また明日」
「あ……また明日」
僕を置いて歩き出した彼女は、振り返ることなく進んでいく。
僕はその後姿をたっぷり三十秒眺めてゆっくりと瞬きをすると、目を開けたときにはもう彼女の姿は見えなくなっていた。
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