0人が本棚に入れています
本棚に追加
3.
話し終えるころには、雨脚が強くなっていた。傘に降り注ぐ雨の音が、半濁点から濁点に変わっている。
話を聞き終えた『僕の後悔さん』は、何度も瞬きをして目を上下左右に動かした。そしてたっぷり三十秒、傘の内側を眺めるように上を向いて、僕を見た。
「ありがとう、話してくれて」
「いや……」
「今日は帰るね」
「あ、うん」
僕の前に一歩踏み出た彼女は、「明日さ」と言って振り返った。
「晴れてもその傘、持って来てくれる?」
「えっ……」
「じゃあ、また明日」
僕の返事を聞かずして、彼女は歩き出してしまった。あっという間に姿が見えなくなる。
晴れてもこの傘を……? 思わず見上げるも、薄い虹色が覆っているだけで雨が降っていることには変わりない。
明日になったらなにかがわかるのだろうか。この傘を持っていったら『わたしが妹の優香里だよ』って種明かしされるのだろうか。
もしそうなら、僕はなにがあってもこの傘を持っていかないと。僕の後悔だと言う彼女に、伝えないといけないことがあるから。
僕は地面に視線をやって、水溜りを避けながら帰路に着いた。
***
いつもは誰もいなくなってから下駄箱に下りるのに、今日は人々が行き交う中に僕はいた。靴に履き替え、あの傘を持って彼女の言う『西城くんの後悔さん』を待っている。
下駄箱付近は、ざわざわしていた。
「ばいばーい」
「また明日ー」
「ぎゃはは! バカじゃねぇの」
ひとりの人、複数の人、静かな人、うるさい人。十人十色が上履きから靴に履き替えて校舎を出ていく。
傘を差す人、差さない人。雨は降っているのか止んでいるのか怪しい天気で、でももうすぐ上がりそうだった。
僕は言いつけ通り、だんだんと透明になる傘を持ってきている。『西城』のテプラの端がピロピロしていた。それを指でいじりながら待つ。
早く、来ないかな。
履いている靴に、傘の石突を刺す。床のタイルは水で濡れ、泥があちこちに落ちていた。
そっか。待ち人を待つというのは、こんなにも心細いものなのか。
それから三十分くらい待っただろうか。ざわめきが消えて、人も来なくなった。ジメジメした空気だけが僕にまとわりついて、汗が首筋を這う感覚がした。
「お待たせ」
タイルから目を上げると、笑顔の女子生徒がいた。変わらない明るさに、心細さが溶けていく。
「あ。持ってきてくれたんだ、傘」
「うん。君に言われたから」
「貸して?」
差し出された手に、持っていた傘を渡す。彼女の手に、他の傘はなかった。留め具を外して、バサリと傘を開く。
「おお、見事な透明」
ほら西城くんも、と促されたので、同じ傘の下に入る。見上げるともう虹はなく、ただ灰色の空があるだけだった。
その透明になった傘に、霧雨のような水滴が付く。
「ちょっと歩こう?」
そう言って彼女は校門の方を指差した。僕は頷いて歩き出す。
ひとつの傘に、ふたりで入って校門を出る。
遠くの空は雲の厚みが減り、その隙間から天使の梯子が下りているのが見えた。
ここももう少しで雨が止む。
最初のコメントを投稿しよう!