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西域琥国の沙月姫(8)
卓瑛が「なるほど」と静かに呟き、冬籟を見る。やはり二人は視線だけで白蘭に何を話すか了承しあったようだった。冬籟が「身の安全というのは大げさだ」と切り出す。
「廟に飾ってあった護符が偽物とすり替えられただけだ。別に皇太后様が直接危害を加えられたわけじゃない」
それは白蘭にとって驚きだった。
「え? 護符は皇太后様が身に着けていらしたのではないのですか?」
今度は卓瑛が首をかしげる。
「いや? 皇帝が亡くなると東西南北の妃はそれぞれ大切なものを廟に供えるものだよ。西妃の場合は白虎をかたどったその護符だ。知らなかったのかい?」
「存じません。少なくとも今の皇太后様からは何も聞いておりません。古い記録をたどればあるのかもしれませんが……」
歴代の西妃は、次の西妃のために後宮でのしきたりなどの情報を書き送ってくるものだ。だが、今の皇太后からの手紙にそのような内容はなかったはず。
「ともかく、後宮の妃の宮殿に賊が侵入したというわけではない。それに精巧な偽物が代わりに掛かっていたから差し迫った危険もないだろう」
「ですが……ですがっ!」
白蘭の胸に湧き上がる、この感情は憤りだ。
「先帝の廟に供えた? 皇太后様は先帝の祭祀のために護符を取り上げられたんですか?」
白蘭は我知らず胸元の自分の護符を、衣の上から固く握りしめていた。
「先ほどから護符は自分の魂だと申しております! 先帝は生前、皇太后様を蔑ろにしていたのに。そんな相手に自分の護符を差し出さなければならなかったのですか?」
地位や立場にその身を束縛されても魂だけは自由であるべきだ。なんで自分を蔑むような男に魂まで与えてやらねばならぬのか。
白蘭の剣幕に卓瑛は軽く目を見開いたあと、少し言葉を探した。
「……義母上のために怒ってくれて感謝する。だが、これも西妃の宿命なんだよ」
皇帝の東西南北の妃は各国の服属の証だ。では、彼女達を残して皇帝が先に死ぬとどうなるか。太古の昔には妃は死出の旅にも連れ添った。つまり殉死だ。さすがにそれは残酷だということになり、後代には身代わりのものを廟に飾ることとなったのだという。
「殉死を強いていた時代に比べれば、少しは歴史が進歩したと言えるんだよ。義母上ご自身も納得して身代わりのものとして護符をお外しになった」
「……お気の毒です」
「義母上はそのような泣き言はおっしゃらなかった。気丈な方で、いつも皇后としての義務を果たされていた」
「ご自身の義務をきちんと果たす方にこそ、魂のあり方を決める自由を差し上げるべきです。皇太后様だって感情のある人間でいらっしゃる!」
「ほう」と冬籟が声を漏らした。白蘭を可愛げのない小娘だと思っている彼には、白蘭が皇太后の心情を気遣うのが意外なのだろう。
「取り上げられた護符がさらにどこかへ消えてしまったなんて……。次の西妃のためだけでなく、皇太后様のためにも早く護符を取り戻して差し上げなければ! 陛下、陛下には犯人の心当たりはないんですかっ!」
つい食って掛かるような口調になった白蘭を、冬籟が「おい、少し落ち着け」とたしなめた。
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