Mrs.園子の長い夢

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僕は昨年の論文が世に認められ、兼ねてから希望していた脳科学の研究所に配属される事になった。 そこは僕が心から尊敬している柳田史郎博士が生前まで研究を続けてきたとされる権威ある研究所だった。 博士は数十年前、急な脳梗塞でこの世を去った。 彼の書いた論文は少ないものの、現代の脳科学の基礎を築いてきたとも言える大きな革新的な発見をして来た、誰もが認める天才であった。 しかし、その研究所の場所は公にはされておらず、彼の研究を引き継ぐ一部のエリート研究者の手によって数々の未知の発見を生み出しているのだった。 厳重な機密保持の契約を交わした僕は、他の研究員に連れられ、北の大地の辺鄙な田舎町に赴いた。 博士の研究所は地下深くに存在し、そこに立ち入りを許される人間はほんの一握りのみであった。 初めて研究所に入った僕が目の当たりにした、彼の研究の脅威と狂気の衝撃は、今も昨日のことの様に思い起こされる。 空調が零点一度間隔で厳密に管理されている、巨大な地下室の中央には彼の最高傑作が威圧的な存在感を放ち、確かにそこに佇んでいた。 彼の集大成であり、未完成品。 他の研究員達はの事を『Mrs.園子』と呼んでいた。 重厚なガラス容器の中には細胞の老化を妨げる専用の保存液で満たされており、その中には酸素ポンプの水圧で小さく浮き沈みしている、夥しい数の電極に繋がれた剥き出しの脳とそこから長く伸びた脊髄が浸されていた。 それらの電極は水槽の周囲に所狭しと配置されているスーパーコーピュータとデータベースに接続されており、彼女の全てをリアルタイムで監視、記録していた。 研究員達との交わした会話が時折、走馬灯の様に思い起こされる。 「彼は寡黙な男だった。発見した研究成果はろくに論文にも纏めないどころか、メモの一つさえまともに残っていない。」 「彼の脳への理解は百年先を行っていた。残念ながら四十年経った今でも、我々は彼の理解していた領域の半分にも追いついてはいないのだ。」 「早急にMrs.園子の解析を進めなければならない。現に彼女の記憶削除処理には十年前からエラーが生じている。」 最初こそ戸惑ったものだが、今ではこの異様な景色と研究にも慣れてしまった。 そんな彼女との初対面に思い巡らしていると、彼女からののアラームが耳に入ってきた。 ワタシハモウウンザリナノ ダレカオネガイ ワタシヲコロシテ ダレカソコニイルンデショウ オネガイ ワタシヲコロシテ に繋がれた複数のモニターには変換された苦悶の文字列がひたすらに無機質に写し出され続けている。 昨日も、今日も、明日も、いや恐らく何十年先も。
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