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園子夫人は晩餐のメインディッシュである子羊の野菜の煮込みには手も付けず、両肩を抱き抱えて戦々恐々としていた。
ホテルの最上階から見える、見渡す限りの配置も配色も知っている喧しい夜景は飲み飽きた最高級の赤ワインの酔いでは滲むこともなく、彼女は最高のセッティングの夕食に嫌気が差していた。
「どうしたんだ、園子。食べないのかい?」
史郎博士は不安そうな顔を浮かべると右手に持っていたワイングラスの中身を飲み干した。
「ねぇ、私は何度この夜を繰り返すの……?」
既に園子夫人は際限なく繰り返される今宵の晩餐を前に半狂乱になりかけていた。
「君の言っている事が良くわからないよ……
強いて言うならば……僕は君との最高の夜なら何度でも一緒に過ごしたいね。」
彼は虚ろな目で生気なく不気味に微笑みかけた。
この返答も耳にタコができるくらい聞き飽きたものだった。
彼女の精神状態は既に限界を迎えてた。
「もうこの晩餐には嫌気が差したの。」
肩で荒い呼吸をしながら園子夫人は右手に置かれていた良く切れるナイフを手に取ると自分の首元に当てがった。
それを見た史郎博士は一瞬哀しそうな顔を浮かべたが、直ぐに元の穏やかな表情に戻ると、何処か嬉しそうな虚ろな目で彼女に言い放つ。
「無駄だよ、園子。それは君が一番判ってる事だろう?君は永遠に僕との晩餐を愉しむんだよ。」
「私はもううんざりなの!お願い!誰か私を殺して!」
園子夫人は吐き捨てる様に叫び散らすとと喉元に当てがったナイフで自らの首を力の限り掻き切った。
夫人の鮮血で真っ赤に染まる食卓。
だが周りの客は平然と食事を続けている。
史郎博士は大きな溜息を一つつくと、冷たい声色で夫人に吐き捨てた。
「気に入ってくれなくて残念だよ、園子。次のディナーでは粗相の無いようにな。」
言葉を発しようとしても空気が漏れるばかりで言葉にならない。
苦しさの中で意識が遠のいて来るのを感じる。
嗚呼、目覚めたら私にはまた新たな子羊の野菜の煮込みが運ばれて来るのだろう。
この悪夢が覚める日は来るのか、園子夫人は息も絶え絶え窓の外を見た。
街のシンボルの時計台が午後十一時を指し示し、緑から焼ける様な赤のライトアップに変わる。
その光は夫人の喉元から流れ出る血液を照らし、ひと際美しく輝いて魅せるのだった。
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