前編

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前編

 大きめの駅から電車で四十分。住宅地に囲まれている片田舎の寂しさ感じる駅に今川秀樹は降り立った。クリスマスも終わり、あとは年が終わるのを待つだけという時期。すっかりと陽が沈み、明かりといえばまばらに立つ街頭と住宅から漏れ出る明かりのみ。気温もぐっと落ちている。人の姿も見当たらない。 「やっぱり東京とは違うな」  そう呟く今川に寒風が吹く。たまらず首をすくめ、所々毛羽立つマフラーに顔を沈める。スーツの上にコートを着ているが、それでも堪える寒さだ。  ポケットのスマホが震える。西健吾からのメッセージだ。「今どこにいる? もう始まってるぞ」。駅に今着いたところだと返信し、歩き出す。  改札を抜けて、そのまま真っ直ぐ。少しばかりきつい傾斜の坂を上っていく。一歩一歩上っていく。  下を向いていた今川の視界に白いものが映る。雪、いや霙か。空を見上げた今川は溜息をつく。白い息は闇に溶けて消えていく。 「最悪だ」  今川は再び溜息をつく。少しずつ強くなる霙の中を変わらぬスピードで歩いていく。 「ここだよな……」  手元のスマホのマップを確認するが、マップは目の前の建物を間違いなく示している。想定以上に豪華なところだった。もちろん東京のような高いビルのようなホテルではないが、広い敷地にどっしりと建てられているホテルだ。どことなく高級感が漂っている。  周りを見回しながら敷地に足を踏み入れる。普段は入らないような雰囲気の建物で自分が場違いな気がしてならない。ドレスコードなどはあるのだろうか。スーツで断られることはないと思うが、不安は消えない。入口のすぐそばの歓迎看板には確かに母校の高校の同窓会が開催される旨が記載されているから、場所を間違えた訳ではないようだ。 「大丈夫だ、大丈夫」  一回深めの呼吸をしてから、立派な入口を通った。 「お! ヒデか? ヒデやんな!!!」  建物に入ってすぐ、少し遠いトイレから出てきた男が大声でそう言いながら、ブンブンと大きく手を振って近づいてくる。 「まさか、健吾か!?」  近づいたことでようやく確信が持てた。まあ、大阪弁の時点でおおよそそうではないかと思ってはいたが、顔を見てやっぱりそうだと確信できた。高校時代と比べると大分痩せたが、どことなく当時の面影がある。笑顔になると目がなくなるところなんて変わっていない。 「久しぶりやな!! 何年ぶりや?」 「高校卒業してから会ってないから、十五年ぶりだな」 「もうそんなになるかよ! ヒデは全然帰ってけぇへんからな」 「健吾だって、大阪行ってなかなか帰ってきてないんじゃないか?」 「そんなことないわ。俺は地元愛の塊やからな。暇を見つけては帰ってきてるわ」 「地元愛があるやつは地元から離れないし、大阪弁になったりしない」  久しぶりに会ったはずなのにそんな感じがしない。高校時代ほぼずっとつるんでいた健吾だからだろうか、今のことを全部忘れて高校時代にタイムスリップした感覚だ。 「ヒデは銀行員様やんな?」 「ん、ああ。ってか様とかつけんな!」 「いやいや、つけさしてぇや。うちらの中で、いやうちらの高校始まって以来の天才やねんから! みんなもヒデが来るのを楽しみにして今日来てるところもあんねんから!!」 「大げさなこと言うなよ」 「ところがどっこい、大げさじゃないんだな。まあ、みんなの様子見れば分かるわ」  そう言いながら歩いた先の洒落た扉を開く。 「おーい!! うちらの星、今川秀樹様のご到着やで!!!」  開けるやいなや、健吾は広い会場に響き渡る大声で言う。 「おい! そんな大声で……」  健吾に文句を言っても後の祭り。一度出してしまった言葉はもう戻すことはできない。 「おお!! 待ってました!!!」 「生徒会長~!!」 「我らの希望の星!!」 「出世頭!!!」  広い会場のあちこちからそんな言葉が投げかけられる。そんな言葉や羨望の眼差しで見られたらしょうがない。応えなければ。  今川は両手を大きく上げた。 「スーパースター今川秀樹、只今帰還致しました!!!」  声高らかに叫んだ。さっきよりもより一層大きい歓声が起こる。その歓声の中を歩き会場の隅に並べて置かれている椅子の一つに荷物とコートを置いた。  どうやら立食スタイルというやつらしい。会場の中央あたりに料理が並べられている長テーブルがあり、そこから適当な間隔で丸テーブルが置かれており、そこで四、五人が料理や飲み物を片手に談笑している。 「よう、スーパースターヒデ。早く飯取りに行かな無くなってまうで」 「そうだな」  二人して料理を取りに行こうと、丸テーブルの間を歩いているとふと服の袖を引っ張られた。引っ張られた方を見るとそこには三歳くらいの男の子がいた。 「ねぇ、おじさんスーパースターなの?」  今川は固まってしまった。まさかこの同窓会で子供がいるとは思わなかったのだ。真っ直ぐと向けられているつぶらな瞳を見つめ返すことしかできなかった。 「そうだよ~。このおじさんはねスーパースターなんだよ~。」  横にいた健吾がしゃがんで男の子に言う。その言葉に男の子は目を輝かせる。 「じゃあさ! じゃあさ! わるものをやっつけたりしてるの?」 「してるで~。東京でね、悪者をバッタバッタとやっつけてるんだ。やんな? ヒデ」 「そ、そうなんだ。今日も悪者を倒して来たからちょっと遅れちゃったんだよね」 「すごい! すごい!!」  男の子は興奮してその場で何度かジャンプする。 「おかあさん! おかあさんのおともだちすごいね!!」  その男の子は横に立っていた女性の服を引っ張る。 「そうでしょう。お母さんのお友達はすごいんだよ~」  そう言いながらその女性は男の子を抱きかかえる。 「久しぶりだね、今川くん」 「えっと……」  分からない。さっぱり誰だか分からない。健吾みたいに大阪弁というヒントがないし、女性は化粧を覚えると印象が大きく変わる。多分、高校卒業して三年後に会っても分からなかっただろう。 「あ~、今川くん。わたしが誰か分かってないでしょう。進、自己紹介して」  促された男の子は元気よく自己紹介してくれた。 「かねはらすすむ! さんさいです!!」  進くんは右手の三本指を立てている。 「かねはら……、金原! もしかして、華? もしかして金原華か?」 「ピンポーン。大正解」 「久しぶり。まさか華がお母さんになってるだなんて」 「お母さんにもなるわよ。だってもう二十九よ?」 「じゃあ、横にいるのはもしかして旦那さん?」 「違えよ。俺の妻は家にいるよ」 「わたしは本村くんとは結婚してないよ~」 「本村!?」  本村と呼ばれた男をまじまじと見る。確かに学生時代の本村はガタイが良かった。確かに目の前にいる本村もガタイが良いが、学生時代の本村と大きく違っている点がある。 「本村、お前そんなに性格良さそうな顔してたか?」 「おいおい、失礼なこと言うなよ。俺は昔から品行方正で模範的な生徒だっただろ」 「嘘つけ。お前、取り巻きを引き連れたいじめっ子だったじゃねぇかよ」 「そうだったか?」 「そうだっただろ。いじめられてたあの子、名前は何て言ったっけ? 途中から来なくなった……」 「多分、岸くんじゃなかった?」 「そう! 岸くんだ!! 本村、お前ちゃんと謝っておけよ」 「岸くん、今日来てへんで」  いつの間にか料理を持って来てくれていた健吾が言った。「ありがとう」と言って受け取る。唐揚げにパスタ、グラタンにローストビーフなどが雑多に盛り付けられていた。好物ばかりだ。滅多に食べられるものでもないし、ありがたくいただこう。 「招待状は届いてるはずやねんけど、返信がなかったらしい」 「そうらしいんだよな。正直俺もあの時のことは謝りたいと思って探してたんだけど……。連絡先も家も知らねぇしな」 「あの時の取り巻きも知らないの?」 「ああ、木津と太田か? 多分知らないと思うし、もし知ってたとしても簡単に連絡取れねぇよ」 「なんでや? その二人の連絡先を知らないってわけでもないやろ?」 「そっか、二人は高校出てから地元離れたから知らないのか」 「あいつら、捕まったんだよ」 「マジで!? 何したんだよ」 「あいつら、高校卒業してから専門学校に入ったんだけど、そのあたりからマジでやばい奴らとつるみ始めたみたいでよ。俺は二人とは違う道に行ったから詳しくは知らないだけどよ。一回誘われたんだよ。さすがにマズイと思って断って……。やめとけって言ったんだけど聞かなくてな。おもしろくなくなったな、なんて言われたよ。」  本村は持っていた空のグラスをじっと見ていた。 「俺はあいつらを捕まえたくなんてなかった……」  周りの喧騒ははっきりと聞こえる。しかし、このテーブルだけ音が無くなったかのようだった。 「え、ちょっと待って」 「ん?」 「捕まえたくなんてなかった、って、本村お前もしかして……」 「ああ、言ってなかったか。俺、警察官」 「お前、捕まる側じゃねぇか!!!」 「また失礼なことを。俺は昔から品行方正で模範的な……」 「さっきも聞いたわ!」 「やっぱりびっくりするわよね~。わたしも初めて聞いたときは声出しちゃったわ。そうそう聞いてよ、この前まで本村くん、入院してたらしいのよ」 「それはやっぱり、凶悪犯との対峙での名誉の負傷?」 「まあ、そうなるのかな。ナイフを持った犯人とちょっとな」 「お前……早死にしないか?」 「そう思うでしょう? わたしもさっき、気をつけなさいよって言ったのよ。お父さんになるんだからって」 「え? そうなの?」 「まあな、再来月出産予定だ」 「お前の口からサプライズしか出てこねぇな」 「本村に育てられる子供が可哀想で仕方ないわ。金原さんに育ててもらい」  「すごいな」と自分の口からポロッっと出たことに今川は驚き、口に手を当てる。 「なんや? 噛んだ?」 「ああ、痛ってぇ……」  と痛がる演技をしながら、本村を見る。当たり前だけど、大人になってるんだな。あのいじめっ子の本村が警察官として働いて、結婚もして、そんでもってお父さんにもなるのか。 「おかあさん……おしっこ……」  華の腕に抱かれた進くんが出し抜けに言った。華は「ちょっと行ってくるね」と言い、輪から抜けた。  華と進くんが扉の向こうに消えた後に、本村が言う。 「知らないとはいえ、お前怖いこと言うなよ。ヒヤッとしたぞ」 「何? なんかマズイこと言った?」  本村が声のボリュームを下げて言う。 「実はあいつシングルマザーなんだよ」  今川は今までの会話を思い起こす。まず進くんの自己紹介で女性が華だと分かって、それから……。「じゃあ、横にいるのはもしかして旦那さん?」って言ったな。言ってしまったな……。 「高校の時、あいつ大学生と付き合ってたろ」  言われて今川は思い出した。そういえばそうだった。どこで知り合ったとか、そんな詳しい話は知らないが、自慢げに、楽しそうに、幸せそうにその彼氏のことを頻繁に話していた。付き合い始めた当初は。  しばらく経ったとき、華が一日学校を休んだ。まあ、休むこと自体はよくあったから、今日もズル休みだろうと誰も特に気にも留めなかった。強いて言えば、出席日数ギリギリで大丈夫か?ぐらいのものだった。 次の日、顔や脚に青痣をつけて登校してきて教室が騒然とした。最初本人は「階段から落ちた」と言っていたが、よくよく話を聞くと、その彼氏とちょっとしたケンカになって殴られたらしいのだ。しかし、その身体中に痛々しく残る痣はちょっとしたケンカでつくようなものではなかった。  どんな理由であれ、女に手をあげる男というだけで最低なのに、ここまで痛めつけるなんて悪魔だ、鬼畜の所業だと、皆が言った。そんな男別れるべきだと皆が言った。そんなクラスメイトの意見に対して、華は「今回はうちにも悪いところはあったし、ちゃんと後ですごい謝ってくれたし、それに、それでもうちは好きだから」と笑顔で言っていた。  それからも何度か青痣を作って登校してきた。その度に周りから「そんな男はやめときな」と言われていたが、華は彼氏を好きでい続けた。青痣のある笑顔が蘇る。 「まさか、進くんの父親って……」 「ああ、あの時の男だ」 「マジかよ……」 「ゾッコンやったからな……」 「ああ。高校卒業してしばらくは男と同棲してたらしい。男に言われたことには絶対服従。そうしないと拳が飛んでくる。そんな奴隷みたいな生活をな。そんでしばらくして進くんを妊娠出産。出産後、子供に手を出すようになり、ついに華の方から離婚を持ち出した、らしい。その離婚調停でも散々もめたそうだが、今は全てが落ち着いてるって話だ……」 「だから、やめとけって言ったのに……」 「それでも、今は幸せだからいいの!」  背後からの華の声にそこに居た誰もが振り向いた。 「い、いつから……」 「わたしが奴隷だっていうところ辺りからかな」 「だって、進くんのトイレに連れて行ったんじゃ……」 「男の子だもん。早いよ」 「あれ? その進くんは? 向こうにいる美月たちに可愛いがってもらってるよ」 「あー、向こうに美月たちも来てるのか。挨拶に行きたいな、うん。そうだ、ちょっと行ってくるよ」  若干棒読みでそう言いながら、その場をそそくさと離れようとした本村の襟をがっしりと華が掴む。 「ちょっと待とうか」  ガタイが良い本村が小さく見えた。 「い、いやー」  声も小さい。 「冗談よ」  華はパッと手を放す。 「確かに今思えばなんでアイツと? とは思うわよ。確かに奴隷と言われても仕方がなかったかもしれない。けどいいの」  華のもとに進くんが走り寄ってきた。その進くんを抱きかかえ、頬ずりをしながら言う。 「この宝物ができたからいいの!」  眩しい笑顔を華は見せた。 「ママ……眠い……」  宝物は目をこすりながら言う。瞼が半分くらい閉じている。よほど眠いのだろう。 「ごめんね、進。今から帰るからね」  進くんの頭を撫でながら、そう言う。 「ごめんね、みんな。もっと喋りたかったけど眠いっていうから帰るね」 「もう帰るのか? この後、記念撮影もあるってよ」 「写りたかったけど、諦めるしかないわね。遅くなり過ぎても、小さい子の教育には悪いし、明日の仕事も早いから……」 「明日も仕事なんか、大変やな……」 「うん、まあね。けど、ほら、この子のためだもん。わたしが馬車馬のように働かないと」  名残惜しそうに、けどどこか幸せそうに輪から離れていった。 「大変そうだな……」 「ああ……」  子育て、それもシングルマザーで。大変でないわけない。自分の時間なんてものは取れないだろう、全てのことは子どもが中心になるのだろう、きっと大変で理不尽なことの連続なのだろう。 「見送りに行くか」  本村のその提案に反対する者など一人もいない。華はもうコートを着て、進くんを抱っこして扉を開けようとしている。今川たちは手早くコートを羽織り、華の後を追おうとした時、会場に悲鳴が響いた。
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