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氷嚢を貰いに保健室に行くと、由岐が言っていた先輩らしき人物たちがいた。茶髪で化粧の濃い、女の先輩が三人。まるで歩く校則違反だ。
室内に漂うのは、人工的な香水の匂い。三人とも別のものをつけているのか、何だか色々な匂いが混ざっていて顔を顰めたくなった。
夏の体育終わりの教室と同じだなと思いながら、彼女らの目にとまらないように氷を袋に詰めていく。その間にも、先輩たちは我が物顔で室内を闊歩しながら色々と下世話な話に花を咲かせていた。
備品貸し出し表に名前と時間を記入して、私はそそくさと保健室を出た。無意識に息を止めていたので、廊下で新鮮な空気を目一杯肺に取り込む。
――亨くんはほんと、お人形みたいで最高。さっさと今の彼と別れて乗り換えなきゃ。
一瞬でも彼のことを人形のようだと思った自分を、何だか恥ずかしいなと思った。
図書室に戻ると、由岐は出た時と同じ姿勢のままでいた。眠ってしまったのだろうか。
「気分、どう?」
先程と同じように肩を揺すると、由岐は静かに顔を上げた。その額に、冷えた氷嚢を押し当てる。
「氷、貰って来た。ちょっとは楽になるかも」
「……ありがとう」
由岐の声は掠れていまいち聞き取れなかったが、多分お礼を言われたんだと思う。
彼の手に氷嚢を持たせて、私はまた隣の席に納まる。いよいよ手持無沙汰になってしまった。授業が終わるまであと三十分。また本の世界に戻る気分には、何となくなれなかった。
「……教室に戻ったんだと思ってた」
「そっか」
「だから……戻って来てくれて、安心した」
「……そっか」
体調が良くない時は誰だって心細くなるものだ。私は自分にそう言い聞かせて、素っ気なく返事をした。何が面白かったのか、由岐がフッと笑った。
「やっぱり竹谷さんといると落ち着く」
氷嚢で隠れているせいで、どんな顔をしているのかはよく分からなかった。だけど、その低くて綺麗な声に私の心はざわついて、それを見咎められたくなくて私はわざと何でもないような声で言った。
「そういえば由岐くんが言ってた先輩たち、保健室にいたよ。だからここにいて正解だったね」
あの場で由岐が先輩と鉢合わせしていたら、多分休むどころじゃなかっただろう。静寂の広がる授業中の図書室は、気持ちを休めるには最適だ。
「……それもそうなんだけど」
「なに?」
「ここに来たのは、無意識で……多分、それは竹谷さんがいると思ったからなんだ」
それはどういう意味、と私は聞くことができなかった。聞いてしまったら、何かが終わってしまうような気がしたのだ。
一瞬固まってしまった私に、由岐は心底申し訳なさそうに言った。
「ごめん、変なこと言った。忘れて」
「……ううん」
それ以来、由岐と言葉を交わす機会は一度もなくなった。
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