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5.二番手
亜美さんは24歳の会社員で、食品メーカーで営業をしているらしい。だが営業というのはとかくストレスがたまって仕方ないとかで、お祖父さんが経営しているこのバッティングセンターに会社帰りやってきてバッティングすることで、日々のストレスを解消しているのだという。
「子どものころは少年野球とか混じってやってたんだけどね。女が野球だけで生きていくのはまだまだ難しいからねえ」
そんなことを言う亜美さんはその日も、このバッティングセンターの中で見た誰よりも完璧なスイングで、速球を華麗にさばいていた。
「将くんはさ、そもそもバットの握り方が全然だめ。あんた、親指両方握り込んでるでしょ。それ怪我の元だから。そんなんであーんな速い球、打ってみ。怪我するよ!」
「球、飛んでくる瞬間に振ってたらその速度じゃ確実に間に合わないよ。マシン見て。アーム動いてるでしょ。あれで飛んでくるタイミング予想して片足踏み込んで振って!」
亜美さんの教え方は的確で、教わるようになって2週間ほどで驚くほど打てるようになった。そんな僕を亜美さんは手放しで褒めてくれた。
「筋いいねえ! 将くん!」
あるとき、これまでで一番の当たりを出すことができた。僕が打ったボールは綺麗な弧を描き、ホームランの表示近くまで飛んだ。
「ああああ! 惜しい! 惜しいけど! もう私的には満点!」
興奮した亜美さんは僕の頭をこれでもかと言うほど撫でてくれ、ちょっと涙ぐんですらいた。
亜美さんにそんなふうに褒められて僕は、恥ずかしいけれど妙にうれしくて、毎日毎日バットを振るようになった。家でもせっせと素振りをした。
受験前になにやってるの、と母親にがみがみ言われたが、やめる気は皆無だった。
少しでもうまくなりたい。気が付いたら、そう思うようになっていた。
しかしそれだけ努力してもホームランは出ない。肩を落とす僕に亜美さんは自販機でココアを買って渡してくれながら、楽しそうに問いかけてきた。
「ほんと頑張るよね。大好きなのかな、ひろみちゃんが」
ひろみちゃん。
ひろみ、ちゃん。
「どうかした?」
「あ、いや何も」
何も、どころの話ではなかった。僕は気づいた。最近、ひろみちゃんのことを思い出す回数が減っていたことに。
まさかそんな、と自身に慌てつつ僕はココアをなめる。
甘いはずのそれが少し苦く感じた。
「だ、いすき、って言うか。可愛い、し。怪我したとき、ハンカチ、貸してくれたから」
「ほほー」
にんまりしつつ亜美さんは休憩用のベンチに座って足を組み、缶コーヒーの蓋を開ける。
「いいなあ。私にもあったはずなんだがなあ、こんな可愛い時が」
「からかわないでください」
亜美さんは大人だ。だからかすぐ僕をいじってくる。僕はそれが少し気に食わない。
「亜美さんだって彼氏とかいるんでしょ」
「んー? まあ、いるにはいるんだけどね」
歯切れの悪い言い方をして亜美さんはごくごくとコーヒーを喉に流し込む。
その横顔を見ながら僕はココアを必死に飲む。やっぱり何だか苦い。
だが、ひとしきりコーヒーを飲んだ後、亜美さんが口にした言葉に僕は愕然とした。
「彼、最近、他の人が好きっぽいんだよね。まあもともと私、二番手っぽかったからさあ」
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