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1.
健は雨上がりが嫌いだった。
あの蒸し蒸しとした暑さ。雨水に濡れた草木や土の匂い。
それまで静かにしていた人々や車の流れが一斉に動き出す、あの喧噪。
カエルやセミの鳴き声。
そして、道のあちらこちらにできる、水たまりやぐちゃぐちゃにぬかるんだ泥道。
それらすべてが不快だった。
雨上がりに比べれば、雨が降っている時のほうがはるかに好きだった。
雨が降っている時の独特の静けさや、雨水に全てが流されていくあの清涼感は心地よかった。
健は営業の帰り道、田舎の道を歩きながら、地面のあちらこちらにできた水たまりに顔をしかめた。
「くそっ。これだから雨上がりの田舎は嫌なんだ」
必然的に水たまりを避けるように、蛇行しながら歩くことになる。それでもズボンの裾に泥がついた。
両端を田んぼと民家に囲まれた一本道だが、その歩き方のせいで、時間がかかる。
もっとも、ここを抜ければすぐ、健の所属する営業所がある。
あくまでも田舎道といえるのはここだけで、それ以外は比較的都会的な町の造りだった。
この辺りだけが、開発が進んでいないのだった。
健は業務用ミシンの営業の仕事をしていた。
営業の成績はまずまずだったし、今日の首尾も上々だったが、この蒸し蒸しする空気のなか、水たまりを避けて時間をかけながら営業所まで戻るのは、一歩ごとに苦痛が増す感覚だった。
ふいに子供の声が健の耳に入った。
顔を上げて見ると、目の前の水たまりの一つを、ランドセルを背負った小学校低学年と思しき少年、少女が二人、囲んで座っている。
どうやら水たまりの中に何かいるらしく、面白そうに話す声が聞こえる。
「ねえ、見てよ、これ」
「ホントだ! 魚だよ」
健は首をかしげた。
「魚だと?」
あいつ等、何を言ってるんだ?
池じゃなくて、ただの水たまりだ。メダカだっているわけがない。
健は近づいた。
近づく音が聞こえたのか、二人が同時に顔を上げ、建を見る。
まるで、健を待っていたかのように、二人揃って白い歯を見せてニッコリとを笑った。
髪型や服装が違う以外は、とても良く似た笑顔だった。
「何かいるのか?」
健の問いに少年が水たまりを指差した。
「見ててごらん。魚がいるんだ」
「魚?」
健は水たまりに目をこらした。幅1mもない水たまりだった。深さもおそらく20cmもないだろう。
雨上がりに田舎の凸凹道にできる、典型的な水たまりだった。
泥水で水面は濁っている。
何もいない。
いるはずがないのだ。
と思った瞬間、水面が少し盛り上がった。
「な!?」
二人がクスクスと笑う。
「だから、言ったじゃん!」
馬鹿な?
二人の笑い声には構わず、健は膝をついて水たまりに顔を近づけた。
またしても、ぬめりという音が聞こえそうなほど、水面が盛り上がり、その盛り上がりがスライドするように動いた。
「そんな!?」
水面の盛り上がりは2〜3cmはある。
この小さな水たまりに鯉でもいるというのか?
「何がいると思う?」
いつの間にか、二人は立ち上がっていた。
「分からない」
健は水面から目を外さず、答えた。
「でも今の水面の盛り上がりは、ただのさざ波じゃない。風は吹いてないし、あの盛り上がり方は何かいるんだ」
「水に手を入れてみたら?」
少女が言った。
「え?」
健は少女を見上げたが、その顔は笑ってはいなかった。
冷たい目だった。
健をじっと見下していた。
健が答えるまでは、じっと黙っているつもりのようだった。
「いや、でも……」
健は水面に目をやった。
もし本当に水たまりの中に何かいるとしたら、手を入れるのは危険ではないだろうか?
健は迷った。
二人の少年、少女は黙ったままである。
辺りはいつの間にか静かになっていた。
健は次第に二人のことが気になりだした。
今、少女がみせた冷たい目つき。
あれが小学生のする目つきだろうか?
この二人、何かおかしいのではないか?
いったい何者なのだ?
いつの間にか、雨上がりの、あの喧騒は健の耳に聞こえなくなっていた。
蒸し蒸しとした暑さも感じない。
それどころか、背中にゾクリとする寒気を感じていた。
健は自分の頭より高い位置にある、二人の表情が気になってしょうがなかった。
今、二人はどんな顔をしているのか?
だが健は顔を上げて、もう一度二人を見るのが怖かった。
だが水たまりの中にいる、何かから目を離すのも怖かった。
どうすれば……
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