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維持費が払えずに手放したものだから、今の私に移動の足はない。もちろん公共交通に支払うべき金もない。もしもそんな金があるなら、何かを食って腹を満たしている。さらに言えば、そんな金があるなら、「スミス」と「ウェッソン」と私の三人がかりで2525キャッシュに押し掛けて金を無心せずとも良い。
腹が減っているものだから、足先に力が入らない。歩道で立ち止まっては空気を吸い込んで体力を蓄え、再び歩いてまた立ち止まっては、腹一杯に空気を吸い込んだ。
胸一杯に空気を吸い込むのは、金と食に困ってない恵まれた連中がやるお遊びだ。人は餓死する寸前になると、吸い込んだ空気を腹に溜め込むようになる。今の私がそうであるように。
それにしてもである。一年前には、まさか自分がヤミ金強盗を覚悟するまで食い詰めるとは、夢にも思っていなかった。
「くそっ」
考えるな。考えすぎると人は死んでしまいたくなるのだ。私は四十四歳で往生するわけにはいかないのだ。それはなぜか。死んだら巻き返せないではないか。一発逆転せねばならぬ。そうだ。一発逆転だ。
私は今、人生における雨季のただ中にいる。土砂降りの雨によって道はぬかるみ、身体は濡れて冷えきっているが、やがて雨上がりの空を見上げてよろこびの唄を歌いたくなるときも訪れよう。そのときが来るまで、決して野垂れ死にするわけにはいかんのである。
「逆転してやる。逆転してやる。今に見てろよ」
「あのう、お忙しいところすみませんが、ご協力願います。どちらまでお出かけでしょうか」
「あ?」
顔を上げてみると、制服姿の交番巡査が私を見下ろしていた。穏やかな口調とは裏腹に、その目は明らかに私を不審者と決めつけてロックオンしている。いや実際のところ不審者には違いないのだが、たとえ本当に不審者だとしても官憲に真っ向から不審者と断定されると誰でも腹が立つものである。しかも目の前の交番巡査は私にとって知らぬ顔ではないものだから、暗い怒りは数倍にまで増幅される。
「ほかを当たれ。馬鹿野郎が」
「さ、咲田!」
交番巡査は声を裏返した。
目の前の巡査は柳原巡査。二十代になったばかりの若手。私はこんな下っぱの巡査にまで呼び捨てにされるような、まさに救いようのない境遇の人間なのである。
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