雨上がりの泥濘

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空腹に抗うべく中腰になって、柳原の背中を見送る。 柳原の行き先。横断歩道か。 柳原の後ろ姿の先にある横断歩道を、高齢の女がひとりで渡っている。足腰が弱っているのだろう。女は杖をついている。 まだ横断途中なのに、歩行者信号が赤に切り替わった。 「慌てずとも大丈夫ですよ」 私に対する鬼のような態度とは裏腹に、実に爽やかな愛想を振り撒きながら、柳原は女に駆け寄った。 「さあ、一緒に渡りましょう」 高齢の女の手を引いて、一緒に道路を横切り始めた。 私にとっては憎たらしい若造だが、あれはあれで真面目な良いお巡りさんなのである。柳原は真面目であるがゆえに私のような外道が許せないのだろう。 だが柳原は私が拳銃を懐に隠し持っているのを見抜けなかった。その点だけを見れば、柳原は警察官失格である。 もしもこの後、私がヤミ金強盗に失敗して、敢えなくパクられたとする。 「強盗に行く途中、柳原に職質されたが顔パスですぐに解放された。柳原の職質を回避するのはちょろかった」などと取調室でゲロでもしようものなら、芋づる式に柳原も責任を追及される。場合によっては、柳原の警官人生はそれで終わる。まあ私はゲロなどしないつもりだが、取り調べ担当の刑事の厚意で目の前にカツ丼でも出された日には果たしてどう転ぶのか、それは私自身にも皆目わからない。何しろ私は二十歳の下っぱ巡査からおまえ呼ばわりされ、ついでに名前を呼び捨てにされるような男である。まあそれも含めて世の中というものは非常に細やかな偶然が複雑に重なりあって成り立っているものだ。偶然がちょっと足を踏み外せば、柳原巡査だっていつ何時俺の側に引きずり込まれることになるものやら。それは運命の女神さまにもわかるまい。 などと、人生というものを色々と考えながら歩いているうちに、私はいつしか繁華街に足を踏み入れていた。 時刻はまだ昼過ぎだから、通りをゆく人影は疎らである。これが夕方を過ぎた辺りから、街の様相は一変する。繁華街は歓楽街へと変貌し、禍々しい夜の街の顔を覗かせるのだ。 雑居ビルの六階に2525キャッシュは店舗を構えている。一階の焼肉屋の真ん前にあるエレベーターに乗って、いざ六階を目指す。
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