ダイヤグラム

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 *    翌朝。  おれはいつもの電車の、いつもの場所に座っていた。昨日の銭谷の言葉を脳内で反芻する。  平日はほぼ毎朝訪れる、一分程度の短い時間を遣って、おれにできることとは何か。あれから冷静になって考えたけれど、やっぱ変顔はダメだろ。そんなことした翌日からきっと、彼女の座る位置は、デコに脂の浮いたおっさんに取って代わってるだろうし。  急に手元が寂しくなって、英単語帳を取り出す。ぶっちゃけた話、この単語帳も、彼女が読んでいたものと同じ本を買った。単語帳そのものがわかりやすいからか、それとも「彼女と同じ単語帳」が重要な要素になっているのか、英語の成績は離陸一秒後の飛行機のごとく緩やかに上昇している。それなのにさして嬉しさがないのは、結局おれはその位置どまりで、彼女とは物理的に近づいて、すぐに離れてゆくことを繰り返しているからに他ならない。  新しい英単語より、おれは彼女のことのほうがよっぽど知りたかった。同じ本を買ったって彼女の名前は載っていないし、何が好きで何が嫌いで、そもそもいま恋人がいるかどうかさえ索引にない。unrequited loveが「片想いの恋」という意味だとは載っていた。間にunansweredが入ると「報われない」という意味がプラスされるそうだ。誰のこと言ってんだよ、それ。天気は雲ひとつない晴れなのに、爆裂にイライラしてきた。  車内アナウンスが流れる。いつも彼女の乗る電車とすれ違う駅に着く。単語帳に指を挟みつつ、窓の外に目をやる。銀色の車体が太陽光を反射して、ぐにゃぐにゃと光の線を描いていた。  ゆっくりとその速度が落ち、長いブレーキの音が響くとともに、電車が停車する。いつも通り、停車位置はピタリだ。いつも通りなら、窓越しに本を読む彼女が――。 (――は?)  窓の向こうには、いつも通り彼女のすがたがあった。  ただひとついつもと違うのは、彼女の愛らしい垂れ目が手元の本ではなく窓の外、つまり、おれのほうへ向けられていたことだ。
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