Dance in the Light (ダンス・イン・ザ・ライト)

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1.  赤い砂を踏み越えていく六万の兵たちの列の最後に加わるおまえは、いっさいの命のかげもない、岩と砂の大地の果てに落ちていく血色の陽を、刺すような鋭いまなざしで見すえている。  熱砂漠の夕風が、乾ききったその見えざる腕で、無造作に切られたおまえの灰色の前髪を揺らして後ろに駆けてゆく。巨塔を思わす、自然が造った砂岩の柱のその下に、頑強以上の何の機能も持たない黒鉄の足枷を引きずったまま、無言でひとりたたずむおまえ。兵たちが立ち上げる膨大なる砂塵が視界の底辺を赤い靄のように覆いつくす。 熱夏の終わりのこの時期、砂嵐舞うデルゾワソの辺境砂漠を昼間に歩くのは自死を選ぶに等しい愚行だ。自然、毎日の行軍のはじまりは落日の時刻に定められた。これより夜通し砂の上を歩きしめ、砂漠の曙光が砂岩の地平を染め上げるときまで万単位の兵たちが歩くのだ。  意味がわからない、と。おまえは小さく口の中で言葉を転がした。  意味すらわからない。なぜ、誰が、どこの底なしの馬鹿者が、猛暑の砂漠超えの東方遠征などを企図したのだろう。阿呆(あほう)め、と。おまえは歯と歯のあいだでおまえなりに最大限の罵倒の言葉を舌の上で転がしてみる。しかし、学がなく語彙のとぼしいおまえには、それ以外の上級な(あるいは下級な)罵倒語を思いつくことができないでいる。阿呆なことだ、と。ふたたびおまえは、使い古したおなじみの言葉を唇の外にわずかに漏らした。  だいいち、この底知れぬ広漠とした砂と岩の大地を超えた場所にあるという、その、なんとかという辺境蛮族の統べる谷。そこを、今さら攻めて屈服させてみたところで、いったい誰に、どのような利益があるのだろう。本当に、この、尽きることのない帝国の不毛な野心というものに、おまえはほとほと、嫌気がさしている。  そして愚かなことに、実質上のその意味が誰にとっても不確かなこのたびの東征に、六万以上、下手をすると七万近い帝国正規軍の重装兵たちが、小言も言わず、従順な家畜の群れのごとくに、夜ごとに異境の砂を踏み、ただ東へ動き続けている。そしてこの、心底馬鹿げた、乾いた大地の過酷な旅のその先に、またさらに過酷な、無益な戦闘が待っている。そこで多くの兵が死ぬ。ただ死へといざなう不毛な旅だ。  おまえは今では底なしに、この、帝国という、人の心を持たない怪物に。そしてこの世界を構成するすべてのものに。おまえは心底、嫌気がさしている。  死ねば、いちばん楽なのに、と。あくまで砂上にたたずむおまえは、いつもの小さな甘い誘惑を心の中でひそかに広げた。だが。しかし、結論はすぐそこに見えている。  死にたくない。生きたい。痛いのはいやだ。苦しいのはいやだ。  その、しみついた奴隷根性の卑屈なおそれが、おまえの心を曇らせる。  おまえには、まだ、死ぬ勇気などないのだと。  今宵もまた、おまえはその単純な事実を自分の心の深みに落とす。そして、気まぐれに左の腰の使い古しの長剣を抜き放ち、終わりゆく一日の最後の光の中で、二度ほど、上下と左右に振ってみる。さいきん覚えているだけでも二百の肉をどこかの戦場で絶ち切ってきた堅牢武骨なおまえの無言な相棒は、熱夏の暮れゆく、夕陽を浴びる砂岩の塔のその足元で、赤く鈍い光を放った。
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