Dance in the Light (ダンス・イン・ザ・ライト)

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2.  この世に生まれ落ちたおまえが最初に学んだのは、この世界を憎むこと。  最初の記憶は、反吐のあふれる地下の暗い水たまりと、おまえを鞭打つ、汗と地の埃にまみれた他の誰かの醜い足だ。その醜い足を持つ男は言った。おまえは奴隷だ。おまえに生きる価値はない。おまえが生きることを許されているのは、ひとえに、帝国に奉仕するためだ。  見えるものは、黒い石の監獄の壁だけだ。聞こえるものは、鞭打つ音と、地下にあふれる多くの悲鳴だ。数ある奴隷の種類の中でも、おまえは戦奴、戦うためだけに生かされた存在。あらゆるものを殺すのだ。あらゆるものを壊すのだ。それがお前の生きる目的。戦い続ける限りにおいて、おまえは帝国によって生かされる。  おまえの耳に何千回も繰り返されたその言葉を、お前はひとまず受け入れる。受け入れるしか、生きのびる道がなかったからだ。お前は鍛えた。おまえ自身のその肉体を。おまえは学んだ。どのように殺すのか。どのように斬るのか。どのように、目の前の敵を最短距離にて叩き潰すのか。  不幸にして女として生まれたおまえは、だが、十の年を数える前に。その監獄の暗がりの下で、女としての体の機能を奪われる。すべて壊され、もう子を産むこともできないだろう。それはおまえが自分で消した記憶の一部だ。もうそれは終わった。もうそれはおまえの人生の一部ですらない。だからもう、思い出す必要もない。それはもう死んだ過去の、他の誰かの終わり尽くした物語だ。  おまえはひたすら、剣を学んだ。槍も学んだ。弩弓も学んだ。命を懸けた戦場と、そして帝国市民の余興のために開かれる、数万の観衆を集めた剣闘士競技会。それだけがおまえの生きる場だ。おまえはそこだけに生きてきた。  生きるためのルールはシンプル。  死なないこと。生きのびること。誰よりも多く速く完璧に殺すこと。相手の息の根を止めること。それがルールだ。生きるための掟。  誰にも負けずに殺し続ける限りにおいて、おまえは生をつないでいける。おまえが勝利するたびに湧き起こる大闘技場の観衆の喝采などは、戦場に群れるハゲワシほどの価値もない。おまえはそれらを憎み、心の底からさげずんだ。叫べ。歌え。騒ぐがいい。だが。もし、いつかやつらが自分の前に立ち、こちらの命を奪いにくるならば。おまえは迷わず、やつらを殺す。ひとり残らず喉を切り裂く。やつらは敵だ。おまえの側に立つ味方など、誰も、ひとりもいないのだ。  そしていま。赤い砂の地への戦役で、慣れ親しんだ鉄の足枷をつけられたまま、かりそめの自由を与えられることもなく。まるで囚人そのものの装いで、獣脂の臭気をまき散らす毛深い荷獣イードラの背に運ばれてゆくおまえ。味方であるはずの帝国兵たちからも、まったく少しも信用されていないのだ。おまえは彼らの仲間ですらない。  おまえ以外にも、およそ三百近い剣闘奴隷がこの戦役に駆り出されているとおまえは聞いた。帝国は、おまえたちを便利な戦力として利用しながらも、そのじつ、まったく信用していない。否。むしろ恐れている。おまえたちの反乱や、不服従や、予期せぬ逃亡、敵との内通の危険性。  まあしかし。それはたしかにもっともな恐れだ。それはおまえ自身が知っている。おまえに帝国への忠義信などありはしない。感謝の心もありはしない。おまえの眼前をゆく重武装の帝国正規兵たちが、おまえの友だと思えたことなど一度もなかった。機会があれば、おまえはたしかに、何の躊躇もなくやつらを後ろから斬るかもしれない。それでも心は揺れないだろう。  夕陽に染まる砂の大地も、吹き抜けていく熱夏の夜風も、なにもおまえの心を動かすことはない。世界は無意味だ。何もかもは糞だ。おまえは世界のすべてが嫌いで嫌いでしょうがない。  おまえはただ、肉体の渇きをいやすためにだけ水を飲み、肉体の飢えを補うためだけにパンを咬む。そこにある味などは、荷役を担う駄牛の糞ほども意味のないものだ。  おまえを乗せた砂牛は、ただひたすらに夜の砂を踏み、名も知らぬ兵たちの後ろについて闇の中を無言で前進しつづける。尽きることない砂闇の中でおまえがひとり考えるのは、おまえがそこで殺すべき、この先で待つ誰かのことだけだ。
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