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咽せるような暑い夏、盂蘭盆会。
花屋のアルバイトから帰宅すると、つい先日死んでしまったと聞いた僕の元彼が部屋に居た。
彼は喋らない、いや、喋られない。白い雰囲気だけを纏い僕の後ろに立つ。僕はとても複雑な気分だった。
「よくもあの時は浮気しやがったな」と恨み言のひとつでも言ってやりたい。「今ごろどうしてどの面下げて俺に会いに来れるんだ?」詰め寄ってやろうか。
だけど言ったところで聞こえているのかもわからないし、それを聞いてどんな面してるのかも拝めない。とても残念だ。
ふと、僕が祖父から譲り受けた電子辞書のボタンが“かち、かち、”と音を鳴らす。まさかこれにだけは触れられるのか。なぜだ?
不気味な怪奇現象への恐怖よりも、彼がそこに何の文字を打ち込んだのか興味の方が勝ってしまい小さなモノクロの液晶画面へ目を凝らす。
『go ha n …ごはん(ご飯)【名】米などのめしや、食事の丁寧な言い方。
cha n to … ちゃんと【副】しっかりした様子。正確で抜け漏れがない様子。
ta be …たべ(多部)【名】日本の名字のひとつ。
ro …ろ(炉)【名】火を燃やし続ける場所。』
ごはん ちゃんと たべろ
「……何?」
幽霊になって突然現れたかと思いきや人の部屋に土足で入り込んでおいて、何を言い出すのかと思えば。人の寝食の心配か?余計なお世話だ。何を偉そうに、お前とはもう別れたはずだろう。
『o ma e…お前(おまえ)同等または目下の人をさして呼ぶことば。
ya se…痩せ(やせ)やせた人。
su gi…杉(すぎ)【名】[植]ヒノキ科の常緑針葉樹。
おまえ やせ すぎ
「……………」
うるさい。ほうっておいてくれ。
『ka zu…数(かず)【名】量を値として表す概念のこと。
ya…屋(や)【接尾】名詞につけて職業や商売を表す語。
ai…アイ【名】目。
taka…高【名】数量・金額などを合計したもの。
tsu ta 蔦(つた)【名】[植]ブドウ科の落葉生のつる植物。建物などをおおい秋に紅葉する。』
かずや あい たか つた
「…………」
なんでだよ。どうして、なんで今更。
馬鹿じゃないのか。ああ、僕は頭がおかしくなってしまったのだろうか。
どうして。
「なに、死んでんだよお前。馬鹿じゃねぇのか。意味わからねぇよ」
彼の手が頬に触れたような気がした。見えないけれど。
唇に、キスされたような気がした。触れられた感触はまったく感じないが。
あの頃、沢山何度も何度も繰り返した熱い口づけが脳裏に甦ってきていまここにそれが在るような気がして。
僕は気がふれてしまったんだろうか。
「俺も会いたかったよ。馬鹿やろう。
この死に損ない。お前なんて死んじまえ、馬鹿。」
なんとか言ってみろよ。お化け野郎。
「……なあ。会いに来てくれたんだろ?
俺も連れてってよ。
ーーーもう、1人は嫌なんだ」
『da me…駄目(だめ)程度が低いようす。』
はあ。
つくづく、相変わらず本当にお前というと。
自分勝手で俺の言うことをまったく聞いてくれない身勝手なやつだ。
死んじまえ、馬鹿やろう。
END.
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