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朝方、タイトル通りのことが起きました。今日はうちの自治体は燃えるゴミの日でした。
ラップのギザギザを外そうとした時に手がずるっと滑って、右手の親指に結構ざっくりいって、出血しました。
なかなか血が止まらず、かなり焦りましたが。旦那さんが心配してくれて、「左手でグッと押さえるといいよ」と言って絆創膏を持ってきてくれました。
結局、血は三分もせずにとまりました。微量の血を失ったわたしはこう思います。
「人生、何があるかわからないから、やれる時にやれること、たくさんやろう!!!」とね。
この文章だって、右手の人差し指で打ってます。この人差し指に何かあるとわたしは凹んでしまうだろうな。
⭐︎⭐︎⭐︎
わたしは気がついたのです。
「指」というのは、人間にとって、「何かを届ける」のに欠かせないものなんだな。と。
楽器を演奏するのを生業にしてる方を考えれば、
その指を怪我してしまったら、と想像はつきます。
また、事務やタイピングの仕事をしてる方たちも、
「顧客に届けたい」データや資料の作成に、
指がうまく動作しないのはなかなか不便です。
⭐︎⭐︎⭐︎
最近、自分の母がよく似たことを言っていたのを思い出したのです。
母はあらかた七十歳。左手の親指の骨が欠けてしまって、痺れるということでした。
また、この母は左手の親指でメールを打つ癖があり、「今後はメールはやめて電話にしてください」と(なぜか長いメールで)言われました。
打つのしんどかったろうに。
メール打つにも、別の指があるじゃん、とそのメールを受け取った時、わたしは思ってしまいましたが。
わたしにとっての「右手の人差し指」(万能屋さん)にあたるところが、母にとっての「左手の親指」なんだろなあ、と今回は感じました。
幸い、わたしが怪我したのは「右手の親指」。今日一日中、「仕事はせずに」(仕事は公休です。掃除などもせずに)のんびり、安静にするのをお仕事に。
たかだか指ではありますが、神様が人間に届けてくれた大切な「器官」です。
わたしは「未来の自分に」たくさんの恵みを、この指で「届けたい」。
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