雨上がり、君の場所へ。

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 土砂降りの音。 「は」に丸の「パシャ」か、濁点の「バシャ」か「ダダダ」「ドドド」とか、どれも表現としてしっくりこない。  見つけられない音の言葉のように、心なんて、自分の心なんて、適切な言葉はわからないものだ。  ましてや、音の世界だけで生きている人は、その音をどんな言葉に変換して心に記憶しているのだろうか。  頭の中で映像みたいなものは見ているのだろうか。  ずっと、真っ暗なんだろうか。  僕は、その言葉を、知りたい。  今日は朝から土砂降りだ。  ときどき稲光が空を切り裂き、遅れて雷鳴が鳴り響く。それはまるで人の感情のようだ。  喜怒哀楽の刺激を受けてから…遅れて、その意味がわかることがある。  無色の世界。  人は感情を失うと色を無くすようだ。  あの日からだ。  君が自殺しようとしたことより、その予兆に気づいていたのに知らない振りをしたことより、心の中の君への愛を否定し続けた日々が、僕から色を奪った。  大人しい僕はときどきいじめにもあった。でもそんなに激しいものじゃなかったから、台風のようにしばらくじっとしていれば通り過ぎていった。  すべてが守り。目立たないように生きてきた。  母のパート先の人で、母が親しくなったおばさんに初めて会ったのは近所のスーパーだった。  母の買い物について行った僕は、趣味である料理の材料を探していた。今度はシュークリームに挑戦するつもりだった。  そして、おばさんに会って紹介されて挨拶したときにおばさんの横にいたのが君だった。おばさんの一人娘で、障害者。目がほとんど見えないのだ。歳は僕と同じだった。  僕は生まれて初めて本物の目の見えない障害者に会い、どう接したらいいのか?何て声を掛けたらいいのか戸惑ってしまった。  君は無表情で面倒臭いようにぶっきらぼうにして、立て続けに喋りだした。 「お母さん、驚いてドン引きされてる?」 「まぁいいや、この人、イケメン?」 「私の名前は○○○、よろしく」  そう言って手を差し出してきた。あわてて僕も名前を言って挨拶して手を握った。小さくて白いその手は少し冷たかった。でも、とても大切なもののように感じた。  たぶん、もうそのときには好きになっていたと思う。  それから家族ぐるみの付き合いになっていった。君の家にも何度も行って一緒に食事もした。そもそも君は数ヵ月生まれが早いからと言って僕を子分のようにあつかって、いつも命令口調で話し掛けてきた。でも慣れるとそれが居心地が良くなっていた。意地悪じゃなく、僕への思いやりを感じられたからだ。  出会ってからあっという間に二年も過ぎていた。  早生まれの君は先に就職した。僕は大学の受験のために勉強で忙しくなり、二人はあまり会わなくなっていった。その頃から君の様子が少しずつ変わってきたことには気づいていた。でもお互いに何となく意識をしていた頃だから軽く聞くことが出来なかった。  ある一人の先輩から壮絶ないじめを受けていたことはあとから知らされた。  君は強がりで、負けず嫌いで、逃げない人で、でも、突然ポキッて折れちゃう弱さがあることを、僕は知ってるようで知らなかった。  あれから大学に合格して、僕は都会で一人暮らしを始めた。  社会人になってからの君とは少し距離が出来ていて、お互いの愚痴はもちろん、近況報告のメールもフェードアウトするように遠ざかっていった。  僕は大学生活を思いきりエンジョイしていた。いや、何かを振り払おうと無茶をしていた。  いつしか、君のこともあまり思い出さなくなっていた。  そんな、ある梅雨の日の朝に、その電話は鳴った。 「○○○ちゃんが自殺したって…」  母からだった。  それは土砂降りの朝だった。  スマホのLINEに君からのメールが残っていた。 「出会ってから、楽しかったー」 「ありがとうっス」 「好き、じゃないっス」 「じゃ、また?笑」  土砂降りの朝は、いつも君を思う。  どこかで障害者の君を差別していたのかもしれない。君の未来を背負うには若すぎたと言いわけもできるけれど、本気で好きになることが怖かったんだ。まだ僕は本気じゃないと思っていたから。  あれからお見舞いには行った。  精神疾患で入院していた。  でも、元気そうで、少しずつ、昔のような関係を取り戻してる。  大学を卒業して地元に就職できて故郷に帰ったら、花束を持って君の自宅に会いに行くよ。  人生の色を取り戻すために。    土砂降りの雨は必ずやむんだ。  雨上がり。  いろんな匂いが、あちこちから鼻をくすぐる。いろんな音や、虫や鳥の声もする。まるですべてが今、生まれたように…。  そして、雨上がりには、必ず。  そう、そのあとにはいつだって、大空にでっかい虹が架かるんだ。  ふたつの心を繋げる橋を、僕らは逃がしちゃいけないんだ。  出ている間に、つかまえなきゃいけないんだ。    君には見えない。  虹なんて、君には見えない。  それがなんだ。  そんなことなんて些細なことだ。  僕が教えてあげればいいだけのことだから。    それより、僕には見えない世界を、これからいっぱい君に教えてもらいたい。   「おかえり」 「長かったなぁ」 「やっと帰ってきたか」  そんなふうに叱られそうだな。 「ごめん」  僕は謝って、ハグをする。  そして、  いつか必ず、  プロポーズを…する!
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