89人が本棚に入れています
本棚に追加
8. 前世の記憶
少し重めのガラスのドアを、客がグッと押して入店してきた。客と共に入ってくる外の空気は生温く、夏独特の夜の香りがする。紫は店内の冷気が逃げないようにドアを閉めに行こうと身を乗り出したが、客が手を離したドアは自らの重みでゆっくりと元の位置に戻った。
「紫ちゃん、外に貼り出してるポスター剥がしてきてくれる? あのキャンペーン今日で終わりだから。剥がすの少し早いけど、遅番の人に任せると忘れるからさ」
「了解です、店長」
紫は、コンビニ内の一番奥にある飲料売場の上に掛けられた時計を見た。あと五分程で深夜帯の人達と交代の時間だ。足早に店外に出ると、湿気を帯びたむわっとした空気が肌に触れ、バイクを空ぶかしする爆音と共にエンジンの匂いが鼻をかすめた。音が聞こえてくる店の角に目を向けると、シートの背もたれがやたらと長い改造バイクが沢山止まっており、特攻服を着た奴らがたむろっている。ポスターが貼られている位置は彼らの方向に向かって歩かないといけない。
紫は地元では有名なヤンキーだ。茶色に染めた長い髪に、細い眉毛、ピアスを開けて、化粧もしている。ただし、母親が高級クラブのママをやっているだけあり、その血を受け継いだ紫も顔立ちは整い、十六には見えない大人っぽさがあり、同じ不良でなくとも惚れる男はかなり多かった。だが告白は殆どされない。何故なら彼女を怒らせると怖く、何かあればキックボクシングで培ったキツイ一発を食らわせてくるからだ。美人な最恐ヤンキーとしてその名は通っていた。
そんな紫だが、基本は平和主義である。ヤバそうな連中に自ら近づいたりはしない。コンビニでたむろう暴走族など絶対に関わりたくない。なので目を合わせないように、顔を横に向けてガラス張りの店内を覗きながら歩き、ポスターを乱暴にベリッと剥がすと、駆け足で入口まで戻った。
店のドアノブに手をかけると急にドアが引かれて、紫はそのまま扉と共に前に引っ張られ、ドアを引いた客のがっしりとした胸板に抱き止められてしまう。その身体からは甘めの香水とたばこの香りが入り混じった匂いがした。
「すいませんっ」と言って、慌てて客から離れると、目に飛び込んできた姿は真っ黒な特攻服を着た背の高い厳つい男だった。絶対に関わってはいけない空気を出しているのに、紫は彼から目が離せない。日本人離れした体型に、おそらく白人系のルーツもあるであろう顔立ちは、彫が深く彫刻のように美しい。暴走族をしていなければ、普通にモデルか芸能人にでもなっていそうだ。
たむろっている同じ特攻服を着ている仲間達は、茶髪のロン毛やブリーチされた金髪など派手な頭が多い中、彼だけは黒い髪をオールバックにして硬派なイメージを出していた。
「なに?」
紫は露骨に凝視しすぎてしまったようで、睨まれてしまう。
「いっ……いえ、何でも」
目を逸らして道を譲ると、特攻服の男は仲間達の元に怠そうに歩いていく。
「ヤマトさん!」
男は仲間達からそう呼ばれていた。
(そっ、その容姿でヤマト!?)
紫はドアノブに手を触れた状態で立ち止まり、無意識に男の方に顔を向けてしまう。
——息が止まりそうになった。
ヤマトは店の窓ガラスに寄りかかって煙草の煙を燻らせながら、紫をジッと見ていた。目が合うと、少し顎を上げて軽くふーっと煙を吹く。その際もずっとこちらを流し目で見ていた。その目は鋭く、精悍で、とても美しかった。
彼が顔を動かすと、両耳につけたシルバーリングのピアスがきらりと光る。
紫は心臓の音をドクドク鳴り響かせながら、慌てて店の中に戻って行く。
店の中に戻りながらヤマトの目を思い返すと、心の声が聞こえてくる。
(……似てる……)
目の前の景色が急に暗くなり、どこかに引き戻される感覚がした。
(……似てる? 誰に??)
グレースは目が覚めて飛び起きた。
朝の光が差し込む窓は高さのある大きな開戸で、外からは鳥の囀りが聞こえる。
部屋の中を見回すと、豪華なシャンデリアに、曲線美の美しいロココ調の家具、建物は石造りで、先程夢で見た世界観とはまったく違う。
部屋に掛けられた大きな鏡に自分の姿が映っていた。滑らかな紫色の長い髪は寝起きだというのに乱れが少なく、少しつり目な目元と、血色の良いぷっくりとした肉厚な唇が、大人びた妖艶な雰囲気を作り出している。
(ああ、そうか、私はグレースだ。あれは前世の夢だ)
先ほどの夢……思い返すと胸がズキンと痛む。
(大和の顔と記憶をあんなにハッキリ思い出すなんて……)
最初のコメントを投稿しよう!