1. 始まりで終わる

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1. 始まりで終わる

 栄華を誇るキングスウッド王国。貴重な魔石が沢山採れる魔鉱山や、穏やかな気候と豊かな水源のおかげで旨味の強い農作物も豊富に採れる。    そして何よりも栄える要因は、有能な国王の統治であり、人々の生活は豊かで、治安も保たれていた。欠点があるとしたら、治安が保たれている故に兵士達には気の緩みがあるくらいだ。    次期国王である王太子も、現国王を上回る有能振りで有名で、眉目秀麗、文武両道、そして王子らしい立ち振る舞いに、国中の令嬢が王太子の目に留まろうと必死である。  ここに、その令嬢の一人がいる。名前はグレース・ロザリオ。この国の辺境を守る司令官の娘である。グレースは濃い紫色の髪と瞳を持ち、妖艶な美しさの持ち主である。可愛いよりも、美人と言った方が彼女の特徴に当てはまる。    実は彼女、転生者で前世はヤンキーである。父親はヤクザの幹部で、母親がその愛人で高級クラブのママだった。幼い頃から母親と二人暮らしで、夜は母親の仕事上一人で過ごしていた。どんなに強く逞しく育てられようと、幼い子供にとって夜中の家というのは不気味で、トイレに行くにも気合いを入れて行かないといけない。電気を消してから眠りに落ちるまでの時間は、恐怖との戦いだ。見えないものを必死に見ないように目を瞑るが、目を瞑ると今度は聞こえてくる風の音や家の軋みがやたらと怖い。毎晩一人で家に残され、震えながら過ごした。  ある日小学校の図書室で借りた童話の本を読んでいると、夢中になっていつの間にか寝てしまい、夜があっという間に過ぎた。本の挿絵には、フリルやリボンのついた豪華なドレスを着た可憐なお姫様と、いかにも甘く優しそうな王子様が手を取り見つめ合っていた。  (こんなドレスを着て、こんな素敵な王子様に愛される恋がしたいな……)  そんな事を夢に描きながら成長した彼女は、地元でその名を聞く者は震え上がるほどのヤンキーになってしまった。  もちろん彼氏は暴走族のリーダーでオラオラ系であった。彼氏のイカつい単車の後ろに乗せてもらっている時に事故を起こし、そのまま亡くなった。  そして、目が覚めたら、幼い頃に憧れていたお姫様になっていたのだ。  「生まれ変わってる!」  しかも転生先は侯爵家という裕福な家である。優しい両親に、甘やかしてくれる使用人、前世では縁のなかった可愛らしい調度品やドレスなどなど、それだけでも幸せなのに、なんと社交界で見かけた王太子フランソワ・キングスウッドは、まさに幼い頃の理想の王子様を具現化したような人だった。  (お姫様として生きて、必ずフランソワ様と結ばれたい!)  その日から、彼女は理想のお姫様に成り切ろうと一生懸命繕った。  社交界では詰まらないと思いながらも令嬢達と会話を合わせて作り笑いをする。気に食わないことがあっても、決して「あ゛?」なんて言いながらガンを飛ばすなどしない。「ふふふ」とにこやかに笑ってやり過ごすのだ。    その代わり帰宅してからは、溜まったストレスを発散する様に、父の持つ軍隊の兵士である、ガチムチ体型のガウル相手にスパーリングをしまくった。グレースは前世では喧嘩で負けないようにキックボクシングジムに通っていた。  その日は、いつもと同じような社交界のパーティーだったはずが、突然フランソワ王太子が現れた。会場は一瞬で色めき立つ。フランソワ王太子は物語から飛び出してきたかのような風貌で、輝くイエロー系のバターブロンドの髪は少し長めで、前髪も眉毛が隠れる位長く、その容姿は中性的で、見るからに穏やかで優しそうな雰囲気を醸し出している。  実際会話をしている彼はとても品よく話しながら柔和な笑顔を見せる。  令嬢たちは今夜は一世一代のチャンスとばかりに皆化粧を直して、そしてフランソワ王太子に話しかけて貰おうと彼の近くをうろつき始める。その数がどんどん増えて、フランソワ王太子の周辺だけがごった返した。  グレースは混みあっている令嬢達を避けながら歩いていると、誰かの足にひっかかり、つまずいてグラスを落として割ってしまい、一番身分の高い公爵令嬢トリシアのドレスをワインで汚してしまった。  「何よこれ! これじゃ王太子殿下にご挨拶出来ないじゃない!」  トリシアは怒鳴り、彼女の取り巻き令嬢達はわざとらしく「あら手が滑った」と言って、ワインをこぼすフリをして膝をついているグレースの頭にかける。  グレースは令嬢たちの胸倉を掴みそうになったが、今生ではお姫様になる夢を思い出しぐっと耐える。すると騒ぎに気がついたフランソワ王太子がテーブルに置かれていたナプキンを取って近づいてきて、グレースの頭と顔を拭く。  「大丈夫ですか?」  そしてフランソワ王太子は穏やかな笑みを見せながらグレースを立たせて、周りの令嬢達に声を掛けた。  「麗しい令嬢の皆さんもお怪我ないですか? ここは割れた破片があって危ないのでどうぞあちらまで離れてください」  令嬢たちはフランソワ王太子に声を掛けられて夢見心地のようで、ぼーっとしながら王太子のお願いを聞いてその場から離れだす。    フランソワ王太子はトリシアの前で跪き、自分のポケットから絹のハンカチを取り出し彼女のドレスについたワインの染みを拭う。  「これで少しは染みが取れると良いのですが……」  フランソワ王太子の登場に唖然としていたトリシアは我に返り、慌てて王太子を止めた。  「殿下、そのような事、大変恐縮致しますのでおやめください」  フランソワ王太子はトリシアを見て微笑んだ。そして立ち上がり、彼女の手を握りながハンカチを渡す。    「ではこのハンカチを使ってください。グラスを割ってしまったご令嬢の事は私に免じて許してあげてくださいね」  トリシアは手を握られた上にハンカチまで貰い、顔を真っ赤にしてこくこくと頷いている。  「良かった。では」  フランソワ王太子は去り際にグレースに微笑みながら目配せし、彼の去った後の残り香は何とも甘く心地良い香りがした。  誰もが満足そうな顔をしてその場が丸く収まったが、その場から去るフランソワ王太子の表情だけは曇っていた。だがその表情に気がつくものはいなかった。  グレースはフランソワ王太子が見えなくなるまで見つめ続け、やはり理想の王子様だと胸を高鳴らせていた。  その夢心地の時間を潰す様にトリシアが声を掛けてくる。  「今日は王太子殿下に免じて許してあげるだけ。殿下に優しくされたからって調子に乗るんじゃないわよ」  トリシアはグレースを睨みつけてから、取り巻きを引き連れて去って行った。    
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