5. ビリーの別荘

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 「お待たせして申し訳ありません」  グレースは朝一から素は見せない。相手がビリーだろうと、最初はちゃんと淑女らしく振舞う。迎えに来たビリーは非番だからか近衛の制服ではなく、貴族らしいベストとコートを着て、黒のロングブーツを履いた服装だった。  「乗って」  ビリーは今日は馬で来ていた。  グレースを馬に乗せると、その後ろに自分も乗り、なにも言わずに馬を走らせ始める。突然動くのでグレースはぐらついたが、ビリーになるべく身体が当たらないように踏ん張った。  城壁都市エスクードから少しだけ離れた、自然豊かな場所に建つ、小ぶりではあるが荘厳な造りの館にビリーはグレースを連れて行く。  「ここは?」  「別荘だ」  グレースは館の中に入ると、息をのんで見回した。趣向を凝らした天上には豪華なシャンデリアが吊るされ、置かれている調度品は裕福なグレースの家でもないような、細かい細工が施された格別に良い物ばかり。ビリーがかなり裕福な事が伺えた。  「ビリー、あなたって何者? 中将よりは立場は上って事はわかるけど、近衛師団ってそんなにお給金いいの?」  ビリーはフフッとだけ笑う。  使用人に案内された部屋のソファに、お互いに向き合って座る。するとすぐにテーブルの上には紅茶やケーキなどの菓子がセッティングされていった。  ビリーはソファで足を組んで偉そうに座っている。  「食えよ」  「食えよって言われても……。今日の目的は?」  「ブルワーニュ家のパーティーで恋人役なんだろ? 事前に打ち合わせした方がいいんじゃないのか?」  「あー!」  「あーじゃねえよ」  案外まともな呼び出しであったことにグレースはビリーを見直した。  「まず、あなたは身分の低い私の恋人です。じゃないと相手に警戒されるから」  「薬物取引をどうにか出来る権力がないって相手に思わせたんだな。じゃあ、服装とかもそういったのを準備しておく。で、他は」  「以上」  「……は?」  「以上です」  ビリーは黙ったまま瞬きをしてグレースを見ている。だがグレースはそんな顔も視線も気にならない。実は恋人役の事よりも、ビリーと話したいことがあった。  「あのさ、それよりも聞きたいことがあるんだけど、今回取引されてる薬物ってどんなものなの?」  「ああ、土系エレメントの魔石を研磨する時に出る粉だ。魔石自体が貴重で、研磨するのも国家免許を持った者が厳重な管理のもと行われるから、その麻薬自体が非常に珍しくて、貴族くらいしか手に入れられないだろうな」  「使い方とか症状とかはわかる?」  「お前……まさか使う気じゃないだろうな?」  グレースはニヤリと笑う。  「絶対やめとけ。量を間違えると副作用がやばい。麻薬草とかじゃなくて魔石だぞ」  「そのヤバいヤバくないとかいう量も、ビリーは調整できるの?」  「……ああ、軍の幹部にいたら別の目的で魔石や粉は使うから、それなりに」  グレースの目は輝き、ふふふふっと、ドス黒い笑いを始める。  「お前……何考えてんだよ」  ドン引きしているビリーと目を合わせながら、グレースは立ち上がり、移動してビリーの横に座り、彼の耳元で囁く。    ビリーはその内容に驚いてグレースを見た。  「お前、鬼畜だな」  「どうも」  「それ乗るわ」  グレースとビリーはお互いに顔を見合わせてほくそ笑んだ。  「あとさぁ、前から思ってたけど、ビリーって偽名か愛称じゃないの? 本当の名前は何て言うのよ」  ビリーが口を開けたと同時に扉がノックされ、使用人が部屋に入ってきた。ビリーの前にシードル酒が置かれて、グレースは今した質問など忘れてシードルに食いつく。    「それ! 最高級のシードル!?」  「何だ、甘い物よりこっちの方が良かったのか?」  ビリーは使用人にもっとお酒とおつまみを持ってくるように指示を出す。グレースはもっぱらの酒好きである。テーブルから菓子類が片され、色々な種類のお酒やチーズに生ハムにオリーブ、ピンチョスと、つまみ類も豊富にテーブルに並ぶと、グレースは目を輝かせて喜び、その様子を見たビリーも満足そうであった。  二人はまずはロザリオ領の最高級シードルで乾杯し、キングスウッドの各地の名酒をどんどん空けていく。  「こっちは、ブルワーニュ産のワインだ。あの領地のブドウ畑はそれは美しいんだ」  あーだこーだ話しながら飲み、酒の力で気分も調子も上がっていき、飲みながら喧嘩したり笑ったりして過ごした。    ビリーは酔った顔をグレースに近づけて、人差し指をグレースの頬に押し当てながら聞く。  「お前さ、王太子の何がいいんだよ? 知ってるか?   王太子は性格悪いんだぞ?」  グレースは指を払って鬱陶しそうに聞き返す。  「あんたとどっちが性格悪いのよ」  「俺と王太子のどっちが性格悪いかだって? そんなの同じだ」  グレースは余裕の笑みを見せた。  「じゃあイケる」  ビリーは予想外の答えに目を開いて驚く。  「え? イケんの?」  グレースは酔って真っ赤になった顔を、ビリーよりも更に相手の顔に近づけて目を見て答える。  「私あんたならイケるから」  ビリーは固まった。顔はずっと赤いので、その赤みはもはや酔っぱらっているのか、照れてるのかわからない。    グレースはケラケラ笑いながら体勢を元の位置まで戻して、新しいお酒に手を出す。    ビリーはやっと動く。  「ああ、そういえばさっきの質問答えてなかったな」  嬉しそうにお酒を飲んでいるグレースの耳元までビリーは顔を近づけ、小さな声で囁いた。  「ウィリアム」  グレースは咄嗟に耳に手を当てた。  ビリーの囁く声と吐息が耳にかかり、ゾクゾクしてしまったのだ。心拍数も一気に上がり、心臓の音が鳴り止まない。  (マジで止まれ心臓。こいつに弱みは見せちゃいけない気がする)  グレースも酔っていて顔はずっと真っ赤であったが、ビリーにはその赤が濃くなったのがわかった。    ビリーは満足気にケラケラ笑いながら元の体勢に戻して、グラスに残っていたワインをグイッと飲む。  そして一息つくと、グレースに真剣な表情で話し掛けた。  「グレース、もし今回無事に売人を捕まえられたら、王太子とお前が過ごせる時間を俺が作ってやるよ」  「え?」  驚くグレースに、ビリーは目を見て微笑んだ。  「好きなんだろ?」  ビリーは少し寂しそうな表情にも見える。  グレースは言葉が詰まった。フランソワ王太子はもちろん今も憧れの存在である。だが、ビリーと居ると居心地がよく、フランソワ王太子に抱いているものとは違う感情が湧きはじめている。  ビリーは特に返事は聞かずに、グレースを送る準備を始める。  「もうこんな時間だ。俺は酔っ払ってるから馬車を出そう」  ビリーは使用人に馬車を準備させ、酔っているグレースに腕を差し出して組むように言う。グレースはビリーの腕を取ると、彼はグレースに歩幅を合わせて歩き、馬車まで連れて行ってくれた。    まだ秋の日中だが、季節は確実に冬に向かっているようで少し肌寒くなりグレースはくしゃみをする。するとビリーは着ていたコートを脱いでグレースの肩にふわりとかける。  「寒いんだろ? 着とけよ」  グレースは顔も心もぽかぽかしてきた。コートからはビリーの香りがして包まれているようだった。  馬車にグレースが先に乗ると、ビリーは迷わず隣に座った。グレースは緊張したが、ビリーも緊張してるのか、お互いにそっぽを向いて窓の外を見ており、馬車の中では一切何も喋らない。    そしてそのまま馬車の揺れと酒の酔いでお互い爆睡してしまった……。    ロザリオ侯爵の屋敷に着き、馬車の扉が開くと、グレースはビリーの肩にもたれて寝ており、ビリーもそのグレースの頭にもたれて、お互い幸せそうに寄り添って寝ていたのだった。      
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