8. 前世の記憶

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 ダイニングルームでは両親とジブリールがテーブルを挟んで座っている。既に朝食の準備は整っており、あとは食べ始めるだけなのだが、グレースが中々起きてこない。ロザリオ侯爵家では、朝と夜は基本的には家族揃っていただく。  「……先にいただくとしようか」  ロザリオ侯爵の一言に、夫人とジブリールは頷きながらナイフとフォークを手に取る。  「グレースって元々活発な子でしたけど、いつからあんなに口や素行が悪くなったんでしたっけ?」  ジブリールは視線を落とし、ナイフで肉を切りながら両親に話しかけた。そしてその質問に両親はお互いに目を合わせる。ジブリールの質問に答えてくれたのは父だった。  「十三歳位の時からだったかな? まあ、まだグレースは思春期なんだろう。誰だってその時期は反抗的になるものだ」  ジブリールは口に入れようとした肉を一度止めて、父の目を見て言い返す。  「いやいや、口の悪さと態度が、反抗期なんて可愛いもんじゃないでしょ」  「別に常に素行が悪いわけではない。社交界デビューした後は、素行が悪くなるのはガウルの前くらいで、他では令嬢らしく振る舞う努力をしていたぞ」  「それは王太子殿下の為に猫を被ってたんでしょ? もう諦めたのか、最近は堂々と素行の悪さを出す日が増えてますよ」  「あー、私が殿下は諦めろと言ったなぁ」  「言わなきゃよかったのに」  夫人は二人の会話をよそにして扉の方をチラチラと見ている。まだ姿を現さないグレースを心配していた。  「……あの時も、今日みたいに中々起きてこなくて……ほら、グレースが反抗期の様な態度を取り始めた最初の日です」  夫人が心配そうな目を、夫ロザリオ侯爵に向ける。  「よく最初の日なんて覚えてるな?」  「あの日は人が変わったようだったので、良く覚えています」  夫人は部屋の隅に待機している使用人を手招きで呼び、グレースの部屋まで侍女と共に朝食を運ぶ様に指示した。  グレースには既婚者の侍女ディアナがいる。多くの侍女は結婚と共に退職をするのだが、彼女の結婚相手は領主軍のガウルであった。いわゆる職場内結婚である。軍人の夫は忙しく、家に帰れない日もある。それなら、侯爵家でこのまま働かせて欲しいと本人からの希望があった。ディアナは侍女の仕事に生き甲斐を感じ始めていたし、何よりここにいたら、少しでも多くの時間を夫の近くで居られると思った。  ディアナが使用人を伴ってグレースの部屋まで朝食を運ぶ。  「お嬢様、朝食をお持ちいたしました」  ディアナは扉をノックしてから開くと、グレースはちょうどベッドから降りようとしていた。ディアナが扉を支えて朝食を運ぶ使用人を先に中へ通すと、カチャカチャと音を鳴らしながら朝食の良い香りが部屋の中に漂った。  「わざわざ部屋までありがとう」  「おはようございます。今朝はお部屋でゆっくり朝食をと、奥様からご伝言でございます」  「ああ、それは助かるわ」    グレースは苦笑いして、使用人が準備してくれている朝食の席に着く。  「それと、お手紙が二通届いております」  ディアナはテーブルの上に二通の手紙を置いた。グレースは先に置かれた一通を手に取り目を通す。  「トラヴィス様からだわ……」  “親愛なるグレース嬢 この度は事件解決にご尽力いただきありがとうございました”    それは、事件の犯人を捕まえた事への感謝の気持ちが綴られており、取り調べは順調に進んでいる事などが書かれていた。  セニ嬢は社交界デビューの後、身分と資産をかなり気にするようになった。自分の暮らしていた町では自分が最も豊かな家の令嬢だったのに、社交界のパーティーに行ったら一番下になってしまった。元々自信家の負けず嫌いだったのだろう、虚栄心を満たす為にお金が必要だったようだ。魔石の粉は、父親が魔石の採掘事業に携わっていた為、そこからくすねていたそうだ。売人の仕事は手っ取り早く大金が手に入るだけでなく、今まで自分を相手にもしなかったような高位貴族達からちやほやされるきっかけにもなり、彼女は麻薬を使用するのではなく、麻薬を売る行為に快感を感じて耽溺してしまった。  「こうして手紙をくださるなんて、トラヴィス様は律儀な方ね」  グレースはトラヴィスの手紙をテーブルに置き、次にもう一枚の手紙を手に取って開いた。それはビリーからの手紙であった。  “王太子殿下の用命でそちらに行く”  文章はたったそれだけだった。    あの事件のパーティーから既に二週間以上経過しており、やっとフランソワとの出来事を気に留めることもなくなってきた頃なのに、王太子という単語を目にして思わず唇を指でなぞってしまった。ここに彼は居ないはずなのに、あの甘い香水の香りが纏わりつき、王太子の顔が近づいてくる白昼夢まで見えてきた。  グレースは落胆した。  「なぜ……しっかり唇の感触を覚えておかなかったんだろう……」  グレースは王太子がキスした瞬間に思考回路がショートしたので、そこから先は記憶が朧気である。思い出せるのは彼の香りと、自分の心臓の爆音だけだった。フランソワの行動の真意がわからず混乱し、そして自分自身の気持ちもわからなくなり、しばらくは悶々とする日々を過ごしていた。  扉をノックする音がした。  ディアナがそのドアを開けると、男性の使用人が立っていた。  「グレースお嬢様、近衛師団の方々がお見えです」  グレースはまさかの本日の来客に、持っていた手紙をパサッとテーブルの上に落とした。  「早ぇよ」         
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