10. 寄宿学校へ

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 午後、指定された教室にグレースは向かう。学舎の建物に入ってしばらく歩くと、ちらほらと生徒達の姿が現れ始めた。聞いていた通り、黒の燕尾服の制服を着た男子生徒ばかりだ。年頃の男子達は珍しい女子生徒を見掛けソワソワし始めた。  (なんか……視線を感じる……)  そして、グレースの容姿が美しいこともあり、注目は増すばかりであった。  教室に入り、最後列の木製の長机の席に着いた。入口に近かったから手っ取り早くそこに座っただけだ。  すると数名の男子生徒達が教室に入って来て、グレースの前や横に立って話し掛けてきた。    「やあ、レディ。名前は?」  「こんな時期に入学? 案内しようか?」  「婚約者はもういるの?」  グレースが飢えた雄の群れにドン引きしていると、また一人教室に誰かが入ってきた気配が背中にした。  (また一人増えた……)    グレースはうんざりしてきて、そろそろ全員シメるかと思った矢先、部屋に入ってきた男がグレースの隣の席の椅子を引いて勢いよく腰を下ろし、両足を机の上にドカッと乗せた。  「俺の女に近づいてんじゃねーよ」  それは着崩した学生用燕尾服を着たビリーであった。  男子生徒達はビリーの睨みに脅威を感じて恐れ慄き、部屋を出て行った。  「……何してんの? その格好は何?」  「俺は前からここの生徒だ」  「は……はあ???」  「忙しすぎて殆ど来てないけどな」  「ここ、全寮制なんだけど」     ビリーは口角を上げてグレースを見る。  「俺は特別な待遇なんだよ」  「本当、あんた何者なのよ……」  結局、教育プログラムと学内規則の説明もビリーは隣に座ったまま一緒に受けて、女子寮に戻るまでずっっっとついてきた。  「何でくっついてくんのよ」  「また変な奴らに口説かれてたらムカつくから」  「てかさ、いつからあんたの女になったのよ、私」  「違うの?」  「違うわっ!」  女子寮入口に着くが、そこから先はビリーは男なので入れない。  「じゃあねっ!! はい、行った行った」  「チッ」  グレースはビリーを手で払い、男子寮に戻るよう追い払った。  ビリーの姿が見えなくなった後、彼の分の学校資料が誤ってグレースの資料と混ざっている事に気がついた。  「うそぉ。追いかけなきゃいけないじゃん」  急いでビリーの後を追うと、男子寮近くの談話室から突然出てきた生徒とぶつかってしまう。    「「……あ……」」  お互いに目を合わせて言葉を失う。  ぶつかった相手は学生服を着たフランソワ王太子だった。  もちろん、それはビリーなのだが、グレースはまだ気がついていないので、突然のフランソワの登場にただただ顔を赤くして固まるだけだった。  そしてビリーは、フランソワの姿でグレースにはなるべく会いたくなかったのだが、寮の王太子専用特別室に戻るにはフランソワに戻る必要があったので、誰もいない部屋でイヤーカフを外して出てきた所だった。  「ごっ……ご機嫌よう、王太子殿下……」  あの夜のキス以来の再会に、グレースは緊張してうまく喋れない。  「あ……え……ああ、お久しぶりですね」  会いたくなかった姿で会ってしまい、ビリーもといフランソワも動揺してうまく喋れない。  グレースとは今後フランソワの姿で会うのは控えるつもりだった。でないと、ビリーの自分が彼女の心に入れなくなりそうだったからだ。  「では、また!」  フランソワは片手を上げて颯爽と去ろうとする。  だが、グレースは下がっていた手を握って止めた。  「待ってください!!」  グレースは真剣な表情でフランソワを見ている。  「この度は、身に余るご厚意に感謝申し上げます」  二人は見合い、しばらく沈黙する。  「……いえ、事件を解決してくださった御礼と、貴方にはこちらで学ぶだけの可能性を感じまして……(本当はもっと頻繁に会いたくて、王都に呼ぶ手段が寄宿学校への推薦だったのだが……)」  フランソワはそっとグレースの握る手を離し、男子寮に戻ろうとする。  「では、失礼」  「待ってください!」  フランソワは唇を噛み、仕方なしにもう一度グレースの方へ振り返る。  「まだ何か?」  「何でキスしたんですか?」  フランソワは固まった。今この姿で「感情を抑えられなくなるほど君が好きだから」と言えば、きっとグレースは自分の事をフランソワの姿でしか愛せなくなるかもしれない。    グレースはまっすぐな眼差しを向けている。  「それは……」  グレースは固唾を呑んだ。  「今は言うべきではないので」   「え……」  「では」  フランソワは足早に男子寮に戻って行った。  グレースは期待していた言葉が聞けずがっかりして部屋に戻る。そしてそのままベッドにダイブすると、濃い一日に疲れ果てて眠ってしまう。  ——ああ……また始まる……最近多いな……。  (ゆかり)の部屋の本棚には、表紙を正面に向けて飾られた絵本がある。大和(やまと)はそれに手を伸ばし、(ゆかり)がゴロゴロしていたベッドに座って読み始めた。  「何でこれ飾ってんの?」  「ああ、それ? 大事なの」  「何で?」  (ゆかり)は起き上がり、大和(やまと)の横に座る。  「ほら、うち親が夜の仕事で家にいないから、小さい時一人で過ごす夜が怖かったのよ。その時にこの絵本を学校の図書室で見つけて、これを読んでいたら夜が怖くなくなったの」  「こんなんで?」  「こんなん言うなや」    (ゆかり)が睨むと、大和(やまと)はやり取りを楽しんで笑う。  「この絵本の王子様はね、私の王子様なの。暗い夜に怯えていた小さな私を守ってくれたの。あ~、こんな王子様と恋するお姫様になりたぁーい」  「おい、俺がいんだろーが」  今度は大和(やまと)(ゆかり)を睨みつけ、ベッドに押し倒す。  「俺がお前の王子様だよ」  「こんなガラの悪い王子様がいるかっつーの」      大和(やまと)の唇が(ゆかり)の唇に触れる直前、突然扉を叩く音が頭の中に響いて目を覚ます——。    グレースは飛び起きた。  目を向けた窓の外は既に真っ暗だった。    扉の音は現実の世界の音で、夢の中ほど響いた音ではないが、今もコンコンと叩く音がする。  慌てて扉を開けに行くと、廊下にはビリーが立っていた。  「しっ」  ビリーはグレースの口を塞いで部屋の中に入り、扉の鍵を閉める。  「な……何する気? 変な事したら叫ぶわよ」  「何もしねーよ」  ビリーは強姦するかのように扱われ、不服そうである。  「一人の夜は大丈夫なのか心配になって。家族や侍女とかと離れて一人で過ごすのは初めてじゃないのか?」    グレースはビリーに言われて気がついた。どこかに泊まり掛けで出掛ける際は、必ず隣の部屋や近くの部屋には家族の誰かかお付きの者がいた。初めて家から離れた暮らしだが、でもここはまったくの独りの夜という訳ではない。寮なので沢山の生徒がいる。  「いや、沢山人いるし」  「ああ、確かに」  でもグレースはそんな事を心配して女子寮に忍び込んできたビリーの気持ちが嬉しかった。  「まあ、せっかく罰を覚悟で女子寮忍び込んだんだから、お茶でも飲んでいったら?」  言ったそばからグレースのお腹の音がぐぅーと鳴ってしまう。寝過ごして夕飯を食べそびれていた。  だがビリーはそれも見越していたようで、手に持っていた袋をグレースに投げ渡す。中を見ると、パンとりんごが入っていた。  「あ……ありがとう」    グレースの部屋は特別室なので、簡単なキッチンがついていた。液化魔石ガスを燃料にしたコンロがあるので、そこでお湯を沸かして紅茶を入れる。    席について、ビリーは紅茶を飲み、グレースはパンを食べる。  「俺さ、昔、夜眠れなくなった時期があるんだよ」  「ビリーに?」  ビリーはクスッと笑いながら「ああ」と頷いた。  「だから、お前も一人の夜に怯えてたらなあって心配になって」  「何で眠れなかったの?」  「内容は覚えてないけど、夢を見るのが怖かったんだよ。だからずっと起きてた」  「意外」  「繊細だろ?」  「じゃあ、また怖くなったらここに来たら?」  「え?」  ビリーはグレースの提案に目を丸くした。  「お前……そういうの、善意でも他の男には絶対言うなよ」  「は?」  ビリーは立ち上がり、ティーカップをキッチンで軽く洗ってから扉に向かった。  「じゃあ、おやすみ。また来るな」  ビリーは呆気なく帰って行った。  「ティーカップ洗って帰るとか……マメな奴ね」        
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