11. 添い寝の力

2/2
前へ
/35ページ
次へ
夜、寮の消灯時間が過ぎた頃、扉を叩く音がした。グレースはまさかと思いつつ扉を開けると、こめかみに青筋を立てたビリーが立っていた。  グレースはすぐに扉を閉じようとしたが、すかさずビリーの足が扉に入り込み、閉まるのを防いだ。  「ちょっ、足どけなさいよ」  「どくか。いいから開けろ」  「開けるか!」  だがビリーの腕力の方が強いのは言うまでもない。扉はこじ開けられ、彼は今夜も部屋に入ってきて鍵を閉めた。  「何かしたら叫ぶから」  「何もしねーって言ってんだろーが」  ビリーはそのままグレースの部屋にズカズカ入って行き、窓際の長ソファに座った。  「俺、今日ここで寝るわ」  「いやいや、おかしいでしょ」  「あ? お前が言っただろーが、寝れなかったら来いって」  「昨日の今日でもう寝れないのかよっ!」  「寝れねーんだよっ!」    ビリーはクッションをポンポンッと叩きながらソファに寝床を着々と作り出す。   「これ貸して」    そう言ってグレースのベッドからブランケットを一枚持って行ってしまった。  「俺、しばらく起きてるから、お前先に寝て良いいからな」  「寝れるかっ!」  グレースは仕方ないので温かい飲み物を淹れることにした。キッチンに立ち、コンロに火をつけ、お湯が沸くまでその場で立って待っていると、窓際にいるビリーは外を眺めながらおもむろに話し出す。  「本当に……また眠れなくなってるんだ……」  表情は見えなかったが、その声色から本当に悲痛な思いなのだと伝わった。グレースの横ではお湯がコポコポと沸き出している。  「昔みたいに毎晩じゃないんだけどな」  グレースは火を止め、淹れたお茶をビリーの元に持って行った。ビリーがティーカップを受け取り、口につけようとすると、新緑の香りが広がる。その飲み物は色も緑色で、紅茶とは明らかに違う。口に含むと苦味があったが、どこか懐かしい気持ちで満たされた。  「東方の緑茶ですって。ジブリールがくれたの」  「緑茶?」    グレースは自分もベッドから掛け布団を持ってきてソファの横の床に座り、布団に(くる)まった。  「何でお前が床なの?」  「アンタがそこに居座ってるからでしょ?」    ビリーはティーカップをテーブルに置きに行くと、ソファには座らず、グレースが座る床に自分も座った。そしてグレースの布団を指差す。  「入れて」  「え、ムリ」  ビリーはグレースの布団を掴み、一緒に包まる。  「あー、(あった)けえ」  ビリーは気持ち良さそうに目を瞑り、グレースの肩に寄りかかる。緊張しているグレースをよそに、ビリーからはすやすやと寝息が聞こえ始めた。  「え、ちょっと、コイツ本当に不眠なの? 即効寝れるじゃん」  グレースは呆れて壁にもたれると、そのまま自分も寝てしまった。      ——緑茶の香りがする。  「ほれ、さっさと食え」  大きなちゃぶ台の上には、ご飯に味噌汁、焼き魚に漬け物、お浸しなどが並ぶ。そして湯呑みには緑茶が入っていた。昔ながらの日本家屋の造りの居間は、畳と線香の香りがする。床の間に掲げられている掛け軸は正直まったく読めない。  「あ、大和(やまと)、食う前にちゃんとじーちゃんと母ちゃんに挨拶したか?」  「ああ、してねーや」  大和(やまと)は箸を一旦置いて立ち上がり、仏間に置かれた大きな仏壇の前で正座をする。手を合わせて遺影を見ると、老齢の白人男性が写る白黒写真と、ハーフと呼ばれる風貌の女性のカラー写真が並んでいた。  「今日も一日よろしくっ」  大和(やまと)は軽くチンチーンとおりんを二回鳴らして居間に戻る。  「なあ、ばあちゃん」  「なんだい?」  「俺、王子様っぽい? てか、なれる?」  ばあちゃんは食事の手を止め、白けた目で大和(やまと)を見ている。  「どこにこんなガラの悪い王子様がいるんだよ」  「あー、それ言われたわー」  ばあちゃんは味噌汁を飲む。  「なあ、ばあちゃん」  「なんだい?」  「女連れ込んで良い?」  ばあちゃんはブッと味噌汁を椀に戻す。  「ダメに決まってんだろ。って言ってもお前が今まで連れ込んでたのは知ってるよ。何を今更……」  「あー、あいつら、セフレね。今度のは俺の女。だからちゃんとばーちゃんに聞いてる」  ばあちゃんは軽く膝をついて立ち、向かい合う大和(やまと)の頭を思い切り叩くと、また正座して茶碗を持つ。  「死んだじーちゃんとお前のかあちゃんに申し訳ないわ。こんなアホに育てて」  大和(やまと)はばあちゃんの小言など聞き流して食事をとった。  「あのな、ばあちゃん、俺本気なわけよ、そいつに」  「ほぉー」  「だからな、ばあちゃんに認めて欲しいんだよね」  「何をだい? まったく」  「結婚だよ」  ばあちゃんはまた味噌汁をブッと椀に戻す。  「結婚って……まさか妊娠させたんじゃないだろうね」  「妊娠させてないし、プロポーズはこれから」  「何だよ、それならプロポーズして返事貰ってから聞きな」  「いや、プロポーズする前にばあちゃんに許可が貰いたいんだ。ここで三人で暮らしたいんだ」  「は?」  大和(やまと)は胡座をかいていた足を正座に直し、両手を膝に置いた。  「そいつさ、親は一応いるんだけど、小さい時からずっと家で一人なんだよ。ここで暮らせたら、ばあちゃんの温かい食卓を味わえたら、すげぇ喜ぶと思うんだよな」  「そうかい……」  「族も卒業して、高校出たら専門行く。手に職つけて、ばーちゃんとそいつをしっかり養いたい。元々ばーちゃんの面倒みなきゃなあって思って金は貯めてたんだ」  ばあちゃんは大和(やまと)の話に耳を傾けて緑茶を啜っていた。大和(やまと)は真剣な面持ちで言葉を続ける。    「結婚するからって、ばあちゃんをこんな広い家で一人にできない。だから、俺が結婚したら、相手とここで暮らしていいか?」    ばあちゃんは湯呑みを置き、真剣な表情で大和(やまと)を見た。  「お前はその女を守れんのかい?」    ばあちゃんは徐々に淡く霞んでいき、目の前は真っ暗になった——。      ——それは、ビリーの夢だった。  「なんだ、夢か……変な夢」  ビリーが何気なしに頬を触ると、その手は濡れた。  横を見るとグレースが自分にもたれて寝ている。彼女の頭を優しく撫で、抱き上げてベッドに運んで寝かせると、ビリーは静かに部屋を出ていく。  廊下を歩きながら窓の外の月明かりを眺める。まだはっきりと夢の内容を覚えており、それを思い返していた。  今までのビリー(フランソワ)の睡眠は、夢を見ないか悪夢を見るかの二択だった。悪夢の場合は、目覚めるといつも内容は覚えておらず、落ちる感覚だけが残っていた。そして目覚めた後は暫く呼吸が早くなり、何ともいえない恐怖に包まれる。  今日、ビリーは生まれて初めて温かい夢を見た。  「きっと、グレースがいたから安眠できたんだな」  ビリーは嬉しそうに微笑み、またグレースに添い寝してもらおうと思いながらイヤーカフを外して部屋に戻って行った。       
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

80人が本棚に入れています
本棚に追加