美しい瞳

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美しい瞳

「ここです」 立ち止まり、気後れすることなく手をかざした。 「へぇっ!定食屋っていうから、昔ながらの食堂みたいなのを想像してたけど、すっごいお洒落な店構えじゃん」 店の外観を眺めて、立記さんが楽しそうに驚いた。 正直、咄嗟に答えてしまった “おすすめ” の店がここでよかったと思った。 ボリュームがあってリーズナブルで美味しいお店は、定食屋さんなのにカフェみたいにお洒落なお店だったから。 駅から十五分も歩くと、住宅街になる。 その中にぽつんとある店、僕は偶然見つけてお気に入りの店になっていた。 時間的にお昼のピークは過ぎていて、それでも数組が店内にいる。 駅からは歩くせいか、ボリュームと味と値段は素晴らしいのに、なかなか人には知れないようだけれど、お気に入りとしている僕にはそれがありがたいと思っているのは店の人に申し訳ないかな。 「へぇー、中もいいなー。今日、楽しみにしててさ、俺、朝にコーヒー飲んだだけなんだよ。めっちゃ腹減ってんだ」 店内を見回し楽し気に話す立記さんで、その様子は取材じゃなくて一緒に食事に来たように思わせる。 「空いているお好きな席へどうぞ」と言われて四人掛けのテーブルに対面で座った。 「あ、そうだ。外観とか、写真を撮っていいか確認してくる」 やっぱり、取材だよね。 「はい」と、内心はちょっとがっかりした様子は見せずに、笑顔で応えた。 立記さんが店のオーナーのような人に名刺を渡している。その人は満面の笑み、どうやらOKをもらったようだ。 「とりあえず…… オーダーするか。俺の腹がグーグーうるさいから」 はっはっは、と笑いながらテーブルの横に立てかけてあったメニューを開き、「どれどれ〜」とあごに手をやりながら見入る立記さん。 僕もメニューを覗き込み、二人しておでこがぶつかりそうだった。 そんなことに、とくんとする。 「ほんとだ、安いな。全部千円しないのか、これは助かるな。岬希は? いつもなに食べてんの? 」 立記さんがメニューに見入ったまま僕に訊く。 「唐揚げか、とんかつか、ハンバーグです」 「今日はなににする? 」 「んー、どうしようかな、えっと、唐揚げにします」 「じゃあ俺はカツ煮定食と…… 」 「と? かなりボリュームありますよっ」 カツ煮定食の他にもなにかを頼もうとしていたから、驚いて咄嗟に声が出てしまう。 「三品くらい撮っておきたいもん」 「…… そ、うですか」 そうだよね、取材だもんね。 「すみませーん」 立記さんが手を上げてお店の人を呼んでいる。 こういうこと、僕は恥ずかしくてできないから、何でもなくやってしまう立記さんが頼もしい。 「唐揚げ定食とカツ煮定食とほっけの塩焼き定食、お願いしまーす」 三つ注文したからか、お店の人がキョトンとした顔をしている。 「あ、二人で三ついただくので」 え? 二人で? 僕も!? 自分と僕に立てた人差し指を何度も振りながら、笑顔でお店の人のキョトンに応えている。 いや、僕は自分の分だけで精一杯なんだけどな。 苦笑いをすると楽しそうに笑う立記さん。 「ほんとだっ!」 注文した品が運ばれてきて、立記さんの目が真ん丸になって驚いている。 「これ、普通の店の二倍近くあるじゃん」 店の人がテーブルから離れると、小さな声で僕に言う。 「だから言ったじゃないですか、かなりボリュームがあるって」 「こんなにすごいと思わないだろう? しかもこれで千円しないって、店、やってけんのかね? 」 二人してボソボソボソボソと顔を近づけて話した。 楽しい。 とても楽しくて、笑みがこぼれる。 食べる前に立記さんが写真を撮っていて、「ふんふん」と一人でなにやら納得しながらメモ帳に書いている。 「あ、ごめんな、食べようぜ」 その様子に見惚れていた僕に、「さぁさぁ」と、嬉しそうに箸を手にしている立記さん。 定食を写真に撮ってメモをしただけで、特に僕にはなにも訊かない。 訊かれたところでボロが出てしまっては困るので、助かるといえば助かるし、乃上家さん、三代目と全く口にしなくなってくれているから、嘘を吐いていることを忘れてしまいそうな僕。 ふと思い出しては、ズキリと痛む胸。 「あの…… 他にも誰かに取材をしているんですか? 」 他の老舗の跡継ぎに取材をしていたら、そこから乃上家のことが露見してしまうかもしれない。よくわからないけれど、老舗って何か繋がりがあるような気もする。 「ん、根津の呉服屋と八丁堀の蕎麦屋にお願いしたけど、両方ダメだったから、今探してるところ」 眉と肩をひょいっとあげて立記さんがおどけた顔をした。 ほっとする。 でも、こんなことをいつまでも続けていくわけにはいかない。 「何社か企画を持って行ってるけどさ、取材してるの一人じゃ話しになんないって、けんもほろろだよ。ごめんな企画が通らなかったら」 今度は申し訳なさそうな顔で言う立記さんに、「いえ」と小さく応えることしかできない。 「がっかりしちゃった? 」 「いえ…… 」 不安気な顔で僕を覗き込んで訊く立記さんに、それでもまた小さな声で応え首も小さく振った。企画が通ったら、とても申し訳ないことになる。 「でも、今までで一番楽しい取材なんだ」 首を傾げ僕をじっと見つめると、スッと手が伸びて僕の頬に触れた。 え? 驚いて固まる僕を見る立記さんの瞳は、優しくて穏やかで美しかった。
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