覚悟ができる

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覚悟ができる

頬に触れた手が少しためらいがちに撫でるような動きになり、僕が目を泳がせると静かに引いた。 「どこか遊びに行ったりしないの? 」 今のはなんだったんだろう。 心臓がどくどくと打ち出す。 「…… あんまり…… しないです」 声が少しうわずってしまった。頬だって引きつっている。 そんな僕の様子に気付いたような立記さんが、 「そっか、今度はよく行く場所みたいなのを教えてもらおっかなーとか思ってんだけどさ」 いつもの立記さんに戻って、明るい声で訊く。 今度は? これ以上はもうだめだ。 撫でられたような頬が熱い。 「大学と店の手伝いだけ? 」 店の手伝い、と言われてドキッとする。 「あ、ええ…… まぁ…… 」 二人で定食を食べながら、なんでもないように会話が続いた。 僕はどくどくそわそわしているけれど。 「そっかー」 眉を寄せ唇を尖らせて、少し困ったような立記さんの表情にどうしようかと思ってしまう。 「神社…… 家のそばに神社があって、そこにはたまに行きます」 「神社? いいねっ、岬希らしいわ。どこ? 」 「(わか)師田(しだ)神社っていうんですけど、えっと…… ここです」 スマホの地図で検索して、立記さんに見せた。 この神社で今度こそ、絶対に本当のことを話そうと思った。 そう腹を括ったら、気持ちの切り替えができたみたいな僕で、いつバレてしまってもいいと、そう思えた。 「家のそば? 乃上家さんから近くないじゃん」 「あそこは自宅じゃないですから」 「あ、そっか」 そうだったな、と立記さんが笑いながら僕のスマホを食い入るようにして見る。 どの辺だか確認しているのかな。 もちろん、乃上家店主の自宅なんかじゃない、僕の家の近くの神社だ。 調べれば店主の自宅だって分かるかもしれない、そうしたら怪訝にも思うだろう。 「お願いごとをするときなんか、結構行くんです。高校受験の時も大学受験の時も行きました」 「ふぅん、お願い聞いてくれた? 」 「はい、高校も大学も第一志望に合格できましたから」 「それは岬希の努力じゃないの? 」 「でも、お願いすると少し安心できたりしたので」 「そうか、じゃあ神様のおかげも少しあるのかな? 」 「だと思います」 笑顔で立記さんと会話をしている現在(いま)を幸せに思った。 神様の前で、きちんと謝罪をしますから。 だから今日だけは、このままでいさせてください。 「今、他に取材受けてくれる人を探してるところだから、少し時間が空いても平気かな? 」 「もちろんです」 「来月の初めあたりで大丈夫? 」 スケジュール帳のようなものを開いて確認すると、僕に訊く。 「はい、夏休みは店の手伝いがほとんどなので、また携帯に連絡もらえたら助かります」 店の手伝いとか言ってる自分に、後ろめたさも少しになっている。開き直っているわけではないけれど。 「了解、じゃあまた連絡するな。てか、まじでほんと量が多いな…… 岬希、こっちのご飯食ってくれよ」 「僕だってお腹がいっぱいで無理ですよ」 「残すわけにいかないじゃん」 口元に手を当て、僕に小声で訴える。 立記さんの悲しそうな顔がおもしろかった。 「はぁー満腹だー!美味かったな」 お腹をさすりながら、立記さんがそれでも楽しそうに言ってくれる。 「すごいですね、全部食べれちゃうなんて」 「ちょっときつかったけどな」 はっはっは、と大きく笑う立記さん。 「あの、お金…… 」 「ん? いい、いい、取材だから」 「………… ご馳走さまです」 頭を下げると、ニヤッとして僕を見る。 「それにやっぱ、楽しかったし」 きらきらの笑顔で言われて、本当なら踊り出していい胸がズキっと痛む。 「暑いなー、どっかで涼むか? 」 激しく照りつける日差しを手で遮り、少しうんざりしたような顔だってとても魅力的だ。 「今日はこれで失礼します」 「これから店? あるの? 」 「いえ…… レポートで調べておきたいことがあるので」 これ以上、立記さんといたら想いを断ち切れなくなる。 「真面目だなー、さすが岬希」 僕のこと、よく知らないのに。 「僕も楽しかったです」 「そう? そう言ってくれると嬉しいなー」 本当に嬉しそうな顔で僕を見る。 いつも笑顔の立記さん。 「では、失礼します」 「え? 駅まで一緒に行こうよ」 「途中の本屋に寄って参考書を探そうと思っているので」 「本屋なら涼しいし、俺も行く」 「………… 」 少し顔が曇ってしまった僕に気付いたか、立記さんがにっこりと笑って、 「わかった。じゃ、また連絡するからよろしくな」 手を上げて僕に別れを告げた。 僕が困ったようになっている空気を読んだのだろう。 そんなところにまでできた人で、それだけに罪悪感も強くなる。 でももう覚悟はできた。 広い歩幅で歩く立記さんの背中が、あっという間に小さくなる。
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